建築
どうしていま、こういうおうちが作れないんだろう? 2014年9月12日小説「小さなおうち」は夢中で読んだ。でも映画「小さなおうち」のスチール写真を見たとき、これは違うなと思った。だから見なかった。きのう中島さんが描いた「小さなおうち」に西荻窪で出…
ランドスケープはテクスチャーだよなんて、知ったふうなことを言っているけれど、そうか建築もテクスチャーなのだなぁと改めて思う。吉阪さんはそんなこと当たり前やんと、こともなげにアテネフランセ作っているけれど、偉いなぁ! 2014年8月30日 お茶の水に…
そっと肩を貸してくれるライトさん。 2013年8月17日 きょうは、ライトさんと友だちになれた。ライトさんはえらい、ちっともえらそうになんかしないのだから、だから好きだ。
西村伊作もクウネルももうすっかり誰も語らなくなってしまったけれど、僕はずっと忘れないから。 2018年8月15日 本棚を整理しているといろんなことがわかってくる。結局僕が好きなのは、レイチェル・マクアダムスであり、クウネルであり、そして西村伊作だっ…
庭ってこれでいいと思う、家もこれでいいと思う、屋根と窓と扉が大事。 2013年8月14日 30数年以上も前に設計した家と庭。草におおわれてもなおそこにある。建築は我流なれど、洋雑誌abitareを繰りかえしめくりながらスケッチをした。あのころのabitareは夢の…
なくなってしまった。この失敗は繰りかえさない。繰りかえしちゃいけない。 2013年8月14日 家って何だろうって、ここにくるといつも思う。結論はやっぱり見えない。でも壊してしまったら、なくなってしまったら、そのやっかいな問いにさえ出会えなくなる。ま…
西村伊作さんが好きです。伊作さんは言っています。「真の自由は最もよく自然に服従することである」と。https://www.kateigaho.com/home/112879/?fbclid=IwAR2uDx8DLyAjitb8SkUZtrGrPB_1da4HMRN7L5clGB-9cXz2cLfEs7tZIM0
新国立競技場、けんけんがくがくは見聞きしてきたけれど現物を見るのは初めてだった。いろいろなことが腑に落ちた。やはり現場を見なきゃだと思った。そしてもう一ついいものを見ることができた。パビリオントウキョウ2021。著名アーティストのオブジェが都…
こんな風になんの屈託もなく美術館を巡ることができる日が2年前まであったのだなぁ。2019年5月18日 コルビュジェ展に行ってきた。滑り込みだった。とっても混んでいた。巨匠にこんなこと言うなんて。展示はあまりワクワクしなかった。でも展示室を出てミュー…
三鷹のまちをぽつぽつ歩いていたら、おぉライトくん、こんなところでどうしたの?と思ってしまった。家というのはいばらず、へりくだらず、ひっそりとだなぁと思った。
多摩ニュータウンの中にちっちゃな村みたいな集合住宅を作りたいと仲間たちと思ったのが17年前だった。その頃はコーポラティブ住宅という試みがあちこちで広がりつつあった。あちこちのそんな試みを見て歩いて僕たちも作ろうということで14家族が集まりビレ…
刻々建ち上がっていく早送りの現場の映像と、正確にリズムを刻むちょっとアヴァンギャルドな音楽と、そして妹島さんの言葉をひたすら繰り返す、そんな映画だった。今はもう建築への興味が薄れていっているのに、どうして妹島さんの映画を見たいと思ったのだ…
久しぶりに日曜日らしい日曜だったので、お昼を食べがてら、ふらふらと下に行って、丸善のフロアーをうろうろしていたら、建築書のコーナーでひたすらページをめくっている女の子がいた。建築書のコーナーであまり小さな女の子を見かけることはない。ちょっ…
【7日間ブックカバーチャレンジ 03】 『The Linz Cafe』:Christopher Alexander 西村伊作の前に夢中になったのがクリストファ・アレクサンダーだった。その中でもこの一冊、The Linz Cafe が大好きで、それ以来寝ても覚めてもリンツ・カフェ、リンツ・カフ…
1月26日、長男SがMさんと結婚した。自由学園明日館での人前結婚式には、曇り空の下40数名の人たちが集まってくれた。F.L.ライトがエスキスしたかもしれないスキップ・フロアの構成が会の進行にリズムを刻んでくれていた。最後に二人で奏でてくれたニュー・シ…
大井町まで行ったので足を伸ばして天王洲アイルの建築倉庫、Steven Holl展へ。いったい建築はどこへ行ってしまうのだろう?と思うことが多いのだけれど、Steven Hollは朝、目が覚めて 鉛筆と水彩絵の具で ささっとスケッチを 描くのだということを聞いて、久…
10月20日、久しぶりに穏やかな休日だった。午前中溜まっていた仕事を片付けて、いざスミレアオイハウス20周年オープンハウスへ。スミレアオイハウスというのは建築家増沢洵さんが1952年に設計した最小限住宅・9坪の家で、知る人ぞ知る戦後住宅建築の小さな名…
さと山とイタリアン、あっているようで、あっていないようで、やっぱりあっているかなぁ
こんなぼうぼうになってごめんなさい、とも思うのだけれど、でも喜んでくださっているKさん。お庭はアプローチがたいせつ。まい朝、まい晩のことだから。
Kさんのお庭の近くには、もうひとりのKさんのお庭があるので、訪ねてみた。もう6年が経つと言う、ぼくはやっぱり庭をつくるというより、森をつくるのが好きなんだ。
ひとのうちばっかりつくっている。僕だっていつか「市中の山居」が欲しい。「sichu no sankyo」は江戸時代のポルトガル人の神父さんだって欲しかったのだから。
東京にもこういう場所ができたのだなぁ、小さくて、みどりがあって、水の音が聞こえて、コーヒーがあって、ワインもあって、椅子がある。三菱一号館。