2012-01-01から1年間の記事一覧
大掃除をしていると、いろんなことが見えてくる。だから穏やかになれる、長い間かかって、とっ散らかしてきたものだから、おぉ、これはと言うものもあるし、なんだかなぁと言うものもある。そんなのをひとつひとつ手にとって眺めていると、残り少ないこれか…
年賀状のことを調べているのだけれど、いい年賀状の本がないかなと思っていたら、二玄社と言う出版社に出会って、二玄社はむかしお洒落な自動車の雑誌を出していて、そのおしゃれさにびっくりして、何冊か買ったこともあった本屋さんで、気になるなぁと思っ…
今年も終わる。60代も1/3を過ぎて、老年試運転期間が終わる。来年からは本格老年期。様々な覚悟は覚悟として、ひとつひとつ捨てて、いちまいいちまい脱いで、ひともじひともじ読んで、いちおんいちおん聞いて、じゆうな老人になりたい。 大掃除は1/4終わった…
湯舟につかっていたら、与謝野というひとのことを思い出した。そうしたら小沢と言う人もでてきて、二人で碁を打っていた。そんな時からそんなに時間は経っていないのに、もう石を打つ音は聞こえなくなって、勇ましい言葉ばかりが飛び交うようになってしまっ…
年賀状描けないから湯舟につかっていたら、お正月ってこうだよなぁと言う言葉が落ちてきた。絵が先が、言葉が先か、年賀状にとってはそんなことどうでもいいことなんだよなぁ。
ずーっと大掃除、やってもやっても終わらない、来年こそ生まれ変わらなければならないのだから
アラン「幸福論」に続く2冊目「芸術の体系」に挑戦中、ただただ「案ずるより産むがやすし」「黙って走れ」「いますぐしごとを!」ってことをとってもエレガントに言ってはるのです。
空き地再生プロジェクト「アクアの森」太政官布逹から139年、ようやく「官園」ではない文字通りの意味での「公園」が生まれてつつあるような気がする。海を眺めながらピザを焼いて、ワインを飲みながらごろんと寝転んで、猫と遊ぶ、今までこんな公園なかった…
彌生さん、83才にしてなお童女の彌生さんに、正面からキッと見つめられると、むくむくとしたものがわいてきます。人類がこんなにあどけないアバンギャルドを持つ日が来るなんて、誰も思わなかったでしょう。みんなびっくりです。 地域を越え、世代を超えて…
ふとしたことから、また、「球根の中には」を聞くようになった。眠る前に聞くようになった。 http://www.youtube.com/watch?v=5J_7TNULCCk
ことしはどうするんだろうと思っていたら、電話がなって、「どうする、やる?」って言うから、なんだか世の中変だし、ちょっと疲れてるしと言うと、頭わるいのに、むずかしいこと考えるからだよ、と言うから、妙に納得してしまって、じゃ、やるかと言うこと…
尾道、 彼らは、空き家再生だけではなくて、空き地再生もしている。akichiというひろば。尾道にいろんなakichiが生まれればいいなと思う。日本中にいっぱいのakichiが出来ればいいなと思う。open spaceでも公園でも広場でも庭でもなく、それぞれのakichiが。
久しぶりのガーデンクラブ。頂いた水仙の球根を広場のあちこちにを植えた。もう遅すぎるかもしれないけれど、球根のちからを信じてる。新妻さんが最後に教えてくれたこと「球根の中には」http://www.youtube.com/watch?v=5MGC5MMlbvk
「テキスト・ランドスケープデザインの歴史」読了。マクハーグ、ハルプリン以降、時計が止まってしまっていたなんて。なんと言うことだ。それにしてもフランス勢、オランダ勢の活躍が目覚ましい。この世に生を受けてきた限り、地球って捨てたもんじゃないっ…
あたらしい現場、E邸打ち合わせ。こどもの頃、屋根の上に登って遊んだ、そんなこと忘れてた。。屋根の上の庭がはじまる。
世界へのこんなにたくさんの祝福、いつになったら? そんなのうそだと思っていても、いつか、とも思う。
セイコーでも和光でもなく、服部時計店は服部時計店でなければ。
このほこり高き、ライカを見よ!
久しぶりの銀座、まちはすっかりクリスマス、天賞堂のディスプレイ、控えめ」で好ましい。ゴム動力の模型ヒコーキ
車が車検から戻ってきた。97年式のフィアット・パンダと言う。年々その費用が増え続けて、もう限界だとも思う。ドイツの環境派の人々が車を一台持つことは、朝の牛乳一杯を飲むために、牛を一頭飼うようなものだという話が好きだから、もう牛はいいかとも思…
さと山とイタリアン、あっているようで、あっていないようで、やっぱりあっているかなぁ
こんなぼうぼうになってごめんなさい、とも思うのだけれど、でも喜んでくださっているKさん。お庭はアプローチがたいせつ。まい朝、まい晩のことだから。
Kさんのお庭の近くには、もうひとりのKさんのお庭があるので、訪ねてみた。もう6年が経つと言う、ぼくはやっぱり庭をつくるというより、森をつくるのが好きなんだ。
秋の庭には、いろんな実がなっている。オリーブはおいしそう、ヤブランの黒い実は高貴だし、ソヨゴには赤い実が。
わがまちは、延々と続くみどり濃いの歩行者専用道路網だけじゃないんだから。こうなるともう、りっぱなpark way、もっともっと自信を持って!
ひとのうちばっかりつくっている。僕だっていつか「市中の山居」が欲しい。「sichu no sankyo」は江戸時代のポルトガル人の神父さんだって欲しかったのだから。
今日は一日中、ottavaを鳴らし続けているのだけれど、実は近頃あまり聞いていなかった。聞かないようにしていた。あんないいとこどり、ぶつぶつに切られた音楽なんて、という声に、そうかぁ、そうだなぁとちょっと転向していたものだから。でも久しぶりに聞…
難解極まる「ウィトゲンシュタイン入門」を読了した。最後まで膝を打つような奇跡は起こらなかった。でも有名な言葉「語りえぬものには沈黙しなければならない」は今まですっと前を素通りするだけだったのだけれど、ようやく収まるべきところに収まったよう…
今週もヨーロッパ路地裏紀行が始まった。きょうは、ブリュッセル ワーブル通り、どうしてこの番組がこんなに好きなんだろう。まちと人がぴったり重なっているからだろう。どうして日々こんな気持ちになれないんだろう。人とまちがうまく重なっていないからだ…
m邸の現場はみんなで森をつくろうぜ!という風であった。それはなぜか、庭をつくろうでも、風景をつくろうでもなく、やっぱり森をつくろうであった。今、この木を植える若い職人たちがとてつもなくまぶしい。