そんなこと思ったから、ビールとカレーとバナナケーキとコーヒーを

野火止用水の畔のカフェで出会ったフランソワ・アルディ、チャーミングだったなぁ。野火止用水の畔でまた会おうねって言ったのに。

2013年7月28日
流れていたのは、フランソワ・アルディ「さよならを教えて」なのだから、町って、一軒の家、一軒の店で決まると思っている。それは前から思っていたのだけれど。でも今日、野火止用水沿いに一軒の店を見つけて、確信した。町がどんなにぐちゃぐちゃになっても、たった一軒のこころざしがあれば生き残れると、そんなこと思ったから、ビールとカレーとバナナケーキとコーヒーを頂いた。
http://www.youtube.com/watch?v=mwhX5V1Gn6w

 

早くおいでよ、今日は暑いし水浴びに

  • 鳥たちのための庭を作っていて思った。なんだか気持ちが優しくなるなぁと。生物多様性などと難しくいうけれど、こんなことをしながら人の気持ちが優しくなると、たぶん鳥たちも水浴びなどして優しい気持ちになるから、それで地球も穏やかになるのだなぁと、そんなふうに生物多様性を勝手に解釈したのだった。空から光る水面を見つけて野鳥たちが飛来するはずなんだけれどちっとも来ない。早くおいでよ、今日は暑いし水浴びに。
    https://www.youtube.com/watch?v=N7ta17oBv2w







どうしてどうしてどんどん街は

おお、この街には文化があるぞなんて、もうそんな街ないよね!

2023年6月31日
昔はどこの街にもひっそりと絵画教室などがあって、おぉ、この街には文化があるぞ、なんて思わせてくれたのだけれど、最近はすっかりそんな街のアトリエなどもみなくなってしまって、どうしてどうしてどんどん街はつまらなくなっていくの?

 

エンジ色と黒のきっぱりとした装画も装丁もとってもよくて

そうそう、古本屋さんを巡っていると、「本当に自分の心の支えになるというか、その物語が存在するということが、自分の人生の中での救いとなるというか」そんな本に出会えるよね

2019年5月30日
下北沢のB&Bの入り口の一番目につくところに平積みになっていた。エンジ色と黒のきっぱりとした装画も装丁もとってもよくて、それに「漱石全集を買った日」という書名も断然いい。京都百万遍の古書・善行堂の店主、山本善行さんとそのお客さんの清水裕也さんの対談なのだけれど、お二人の古本道が惜しみなく語られている。2〜3年前、京都百万遍に古書・善行堂を尋ねた。引き戸をガラガラと開けたら突然ジャズが流れてきてびっくり、奥の帳場の横のターンテーブルの上にLPレコードが回っていた。こんな古本屋さんがあるんだ、さすが京都と思った。古本屋さんを巡ってこの国のあちこちの街を歩きたい。帰りの車中、本を読みつつ駅弁を食べつつ帰路につく。そろそろそんな生活がしたいのだが。
哲学者の小林康夫社会学者の大澤真幸の対談本を読んでいると、その中に「若い頃に誰でもいいから一人全集を読むといい。一人の人間の思考がどこまで到達できるのか、ということを頭と身体で実感することはとても大切で、全集を読むことでその体験ができる」というようなことが書かれていて「よし、そういうことなら誰か読んでみるか」という気になりました。p.70
古本を探すことは、どこか自分を探すようなところがあるから。自分が本当に好きなものは何か、というような。p.184
でも理屈じゃないからこそ、本当に自分の心の支えになるというか、その物語が存在するということが、自分の人生の中での救いとなるというか、それだけで安心するというか、そういうことを改めて思いましたね。p.190

 

太郎ちゃんとよう子ちゃん

「最高だったじゃない?」 そう問われると、なんと答えればいいのやら。

2020年」5月23日
久しぶりにすっかり小説の中にいた。昭和の初めからバブルの時代へとゆっくり過ぎていく時代、仲良くなってはいけなかった小学生の太郎ちゃんとよう子ちゃん、その二人を静かに支え続けたふみおねいさん。その周りの三枝家の3姉妹、重光家の人々の物語。終盤、太郎ちゃんが呻くように聞き返しました。「これがいい人生だった・・・?」「 だってそうだったじゃない。」「最高だったじゃない。これ以上ありえなかったじゃない。」それを聞いた太郎ちゃんはよう子ちゃんの手から自分の手を乱暴に振りほどきました。「 これ以上ありえなかった・・・?」 肩で息をして叫びます。「 そんなことない。」こんな風に閉じていく物語、読了して数日が経って、ようやく水村さんが1200ページを費やして言いたかったのは、このことだったのかなと思った。太郎ちゃんが言った。こんな日本になるとは思っていなかった、こんな軽薄な、いや希薄な日本になるとは思わなかったって。水村さんもそんな思いでこの小説を書いたのかもしれない。水村さんは「日本語が亡びるとき」を書いている。彼女はずっと前から今の状況を予見していたのかもしれない。水村さんがこの本で書きたかったのは、「日本が亡びるとき」だったのかもしれない。