なんとも素敵な青年です

林ショップの林さん。覚えてくれているかなぁ?また会おうね。

2015年9月30日
富山最後の日に出会った林ショップの林さん。日本中のちいさなちいさな愛おしいものたちを集めてきては僕たちに見せてくれます。旅はやっぱり人に出会うことだと思います。なんとも素敵な青年です。

 

 

ひさしぶりに恋に落ちた

どうして鹿になってしまったんだろう?鹿になりたかったんだろうなぁ。

2018年9月30日
遠野のクイーンズメドウ・カントリーハウスに行ってきた。ここだなと思った。ここにあるなと思った。歴史を紐解いて、風土に学んで、動物との共生について考えて、そこにふさわしい建築のカタチをひねり出して、そしてそんなの全部をつなぎ合わせてようやくたどり着いた風景を描いて見せてくれていた。声高にでなく、偉丈夫にでもなく、ひっそりと。たまに場所に恋するということがあるのだけれど、ひさしぶりに恋に落ちた。風景と建築と動物が人を幸せな気持ちにするんだということを知った旅だった。

 

どんな名作よりもどんな傑作よりもこんな映画が好き

南仏の風景なのだろうか、フランス語の語感なのだろうか、はたまた脚本なのだろうか、いいよねこういうの、好きだなこういうの。嫌なこと全て忘れてしまう。

2019年9月30日
重いことはいっぱいある。暗いこともいっぱいある。でもだからこそこういう映画なのだと思う。南仏の田舎の自転車屋さんの話。田舎、自転車、時々ピアノ。そんな道具立てだと聞いただけで、もういい映画に違いない。



だ。
https://www.youtube.com/watch?v=dV43Dsk-ZJo

ぼんやりと形にならないものを、不明瞭なままで見つづける力

今いちばん好きな作家は堀江さんなのかもしれない。なんだかよくわからないけれど、そうかこのよく分からなさがいいのだ、分からないことは分からないままでいいじゃないか、人生というのはそういうもやもやしたものなのだな、と堀江さんは言う。

2020年9月29日
堀江さんの本の装丁はいつも堀江さんみたいに静かだ。 じっとしていよう、あまり動かないでいよう、分からないことは分からないままで、煮え切らないことは煮え切らないままでいいじゃないか、棄てきれないもの、噛みきれないもの、見きわめえないものの存在を切り捨てないでいいじゃない、という話。そんな話をパリの運河に係留された水上ボートに仮住まいする作者が、いつでも出発できるのにあえてそれを拒み、待機しつづける船の上で様々に思索する。堀江さんの本はとても難しい。筋らしい筋もない。ただただ静かに時間が流れていく。で、気がついたらほっと出来る場所に着いている。
『霧の中で自分の視力はどこまで届くのだろうか、と彼は独語する。全く届かなくても、かまいはしない。いま切実に欲しいと彼が念じているのは、闇の先を切り裂いて新しい光を浴びるような力ではなく、「ぼんやりと形にならないものを、不明瞭なままで見つづける力」なのだから』p.105 河岸忘日抄 堀江敏幸

 

こんな素晴らしい歌を生んだ僕たちの国なのに

O女子大学の非常勤講師の環境生態工学という授業で「魚道」の話をしたとき、学生たちにこの曲を聴いてほしいと思った、でも今の学生たちは既にこの曲さへ知らなくて悔しい思いをしたけれど、最後の授業では、大音量でこの曲をかけてみんなで歌いたいと思った。でも意気地がないから果たせなかった。今でもその事を後悔している。国際とんぼ学会の学会歌が「赤とんぼ」だと聞いたことがある。みんなで学会のあと大合唱するのだという。もしも国際魚道学会というのがあるのなら、この歌を学会歌にして欲しい。こんな素晴らしい歌を生んだ僕たちの国なのに、ちっとも自然は豊かにならない!

https://www.youtube.com/watch?v=kGl9M0_CCqI

 

それで今コトコトとかぼちゃを煮ている

ベッドの中で大貫妙子さんの「私の暮らし方」を読んでいたら、かぼちゃの煮つけ方が書いてあって、美味しそうだなと思いながら眠りについた。そうしたら今日、野菜のひき売りをしているアコちゃんがやってきて、かぼちゃもあるよと言うから、昨日ちょうどかぼちゃの煮つけ方を読んだところだよ、だからかぼちゃちょうだいと言った。それで今コトコトとかぼちゃを煮ている。本というのはいつ役にたつかわからないものだなぁ、いいものだなぁと思った。
「いま家で作るかぼちゃの煮つけも、丸元さんのレシピをそのまま受け継いでいる。まさにシンプル料理。ビタクラフト鍋に切り揃えたかぼちゃを皮に下にして並べ、5~6ミリの深さに酒を張り、醤油を少しかける。ふたをして中~弱火にかけておき、竹串が通ったら出来上がり、砂糖は使わない。かぼちゃの持つ甘味だけで十分おいしい。」