みんなみんなひたすら生きて行く

「そんな日常が少しづつ崩れていく。終わるものは終わって、敗れるものは敗れて。それでもケイコはスパークリングをボクシングを、人生を、生き続けて行く」この数日起こっていることはまさにこんなこと。

2023年2月10日
「ケイコ目を澄ませて」今日ようやく見ることができた。淡々と続く縄跳びが床を叩く音、リズミカルに打ち続けるグローブの音、たったったっと駆け抜けるランニングの音、そんな日常が少しづつ崩れていく。終わるものは終わって、敗れるものは敗れて。それでもケイコはスパークリングをボクシングを人生を生き続けて行く。ただただそういう映画。ケイコも会長も千春さんも林も弟も花も、みんな素敵だ!みんなみんなひたすら生きて行く。それにしても岸井ゆきのがずば抜けている。

 

しあわせな老後というのがあるとするならば

玉川上水もそうだけれど、江戸って偉かったなぁ。そろそろ再訪しなきゃだ。

2015年2月10日
江戸の御薬園のことが気になっていたので小石川植物園に行ってきた。すっかり前にも行ったことがあると思っていたのだけれど初めてだった。仮にも植物に関わる仕事をしているのにこんな不実なことはない。東京にもこんな場所があったのだ。最近とみに思うのは,大学という場所のたいせつさ。いまや東京で大きな木々が悠々と枝をのばしているのは大学のキャンパスくらいしかない。反知性主義という言葉をよく聞く。知性なんて理性なんて、ということらしい。ここにはそんな乱暴に負けない穏やかなチカラがある。しあわせな老後というのがあるとするならば,お天気のいい日には朝からお弁当を持ってここに来て、もういちどきちんと草木たちと向き合うことだと思う。それにしても本を読む柴田桂太センセイがかっこいい。

 

オールド・メディアと蔑まれてもやっぱり

本棚の片付けがほぼ終わったのでさて次は何に手をつけようかということで、ここのところ膨大に溜まってしまった新聞の切り抜きに手をつけている。ベッドに入る前に少しづつ少しづつ読み返している、これがめっぽう楽しい。あんなことがあったなあ、こんなことがあったなあ、ああいう時代だったなあ、こう言う時代だったなあなどと。で、今晩もそんなことをしていたら、なんと僕たちのことが書かれた記事が出てきた。2003年6月17日東京新聞朝刊。あの頃すっかり廃墟のようになっていた鶴牧商店街の写真付きで。あれから四半世紀が経つ。オールド・メディアと蔑まれてもやっぱり新聞はいいな、新聞いのちだよぼくには。ところで記事によると「集合住宅一階で環境計画事務所を開いている横山裕幸さん(53)」とある、若かったなあ。

 

その日々を自分自身であって過ごしているのでなければ

本は吉田健一しか読まない、そんな人が居る。上には上がいるなあ。

2023年2月11日
立川PAULここがいい。吉田さんやっぱり分かりにくい、でもこのおじさんが好き。「その日々を自分自身であって過ごしているのでなければならなくて」吉田さんはいつもこんな風にいう。「人生の暴風雨をしのいで港に帰ってきた軍艦のように」こんな風に年をとりたい、憧れるなぁ。