建築

なんて初夢を見たいなぁ

昨年のお正月は、なかなかいいこと考えていたんだ。ヒヤシンス・ハウスで「みなさんありがとうございました、お世話になりましたパーティ」を開こうなんて。きっと道造さんも「そんなことなら貸してあげましょう」といってくれるだろう?なんて初夢を見たい…

そもそも学校って

どれだけ大きな木が大切なことか。 2016年11月22日 そもそも学校って、大きな木の下ではじまったという。ここに来るとそんなことを思い出す。そんなとってもシンプルなことを。

校舎の黒板に書いてあったルノワールの言葉

僕がもう一度生まれ変わったら、この学校で学びたいと思う。今でさえ時代遅れな学校って揶揄されるけれど、僕が生まれ変わる頃にはもっともっと時代遅れだと言われているだろう。でも、いいものはいくら時間が経っても古びない、いつまで経っても新しい。校…

いつも通りそのままでいはる

大好きな大阪がここにあった。単なる年寄りのノスタルジーかなぁ? 2014年11月18日 久しぶりの大阪、久しぶりの天王寺、我が青春の大阪市立天王寺美術館。デートもしたし、食堂でカレーも食べたし、お世話になりました。こんなに名建築なのに、目立ちもせず…

主役たちではないそんな傍役たちが

終着駅であり港町、いい街だなぁ! 2014年11月1日 今回の旅行の終着駅は文字通り門司港だった。ここにもずっと来たかったのだけれど、ちょっと複雑な気持ちになった。近代化遺産の歴史を大切にしようという先駆的な試みだったと思うのだが、すっかり観光地に…

上勝町の今がかっこいい

山羊とおじいさん 2017年10月24日 ベンガラ色の下見張り、壊されてしまう民家の様々な建て具を集めて作った大きな窓、空き瓶をコラージュした照明器具、この町が目指すwaste to zero がデザインにまで昇華されている。「おばぁちゃんの葉っぱビジネス」から…

お暇したのは夜も9時を過ぎていた

この頃は家って、なんだろうというようなことをよく考えていた。今はもうそんなことを考えることはない。相変わらず、いやもっと大切なことになっているはずなんだけれど、そんな大切なことを考える余裕を時代は失ってしまったような気がする。決定的に大切…

山麓の村までまだあと少し

いまでもここが好き。好きという気持ちは失われないのかなあ? 2015年10月13日 白馬三山、中腹まで紅葉が降りてきていた。山麓の村までまだあと少し、でもナツヅタはもう紅かった。

11月3日, 自由学園でお会いいたしましょう

コロナ禍で秋の公開がしばらく行われてきませんでした、今のこの国がもう一度確認し直すべきことが学べると思います。教育ということ、教育と環境ということ、教育と建築ということ、そしてもちろんF.L.ライトが目指したこと。わたしも参加します。 ********…

もっともっと等身大のこころざしの高い開発があっても

最近僕は、多摩ニュータウンという街に誇りが持てなくなってきている。あまりに乱暴なことがまかり通っている。北加賀谷のささやかな水辺再開発を見てきて、この街を生んだ大阪で生まれ育ったことを誇りに思う。 2019年10月8日 今回一番期待していたのが北加…

お似合いのふたりだ

ヴォーリズと満喜子さん、こういうおじいさんとおばあさんでありたい。 2013年10月2日 ヴォーリズという人は、とってもしあわせな人だったんじゃないかな。この絵を見ているとそう思えてくる。お似合いのふたりだ。

湖水のほとりにはポプラがある

たったひとりの人間の存在はやっぱり大きい。立原道造がもっと長く生きていたら、今の東京はこんな風になっていなかった? 2021年10月2日 「立原道造・風景の建築」岡本紀子著を読んだ。いま立原道造や堀辰雄が好きだというのは、ちょっとはばかれるようなと…

ひさしぶりに恋に落ちた

どうして鹿になってしまったんだろう?鹿になりたかったんだろうなぁ。 2018年9月30日 遠野のクイーンズメドウ・カントリーハウスに行ってきた。ここだなと思った。ここにあるなと思った。歴史を紐解いて、風土に学んで、動物との共生について考えて、そこに…

秋らしい花束ができた

ここに来ると街はたった一軒で決まるものなんだと教えてくれる。群れちゃいけないと教えてくれる。 2014年9月12日 Y邸からの帰り、ちょっと寄り道が過ぎたけれど、でもこれが僕の仕事だと思っている、風景を見ること、風景を見続けること、で西荻窪で最後に…

そうしたら、とても正直な生活が送れそうに思う

去年「構築の人、ジャン・プルーヴェ」という本が出た。この構築の人という書名が気になっていた。だから昨日ジャン・プルーヴェ 展に行ってきた。ジャン・プルーヴェは自らを建築家でもデザイナーでもなく、「構築家」と称した。プルーヴェはデザインするな…

シオカラトンボも東京

夏休み最後の日の夕方は「月のはなれ」で過ごした。今の東京ってムチャクチャだけれど、ポツンポツンとこういう所があるね、だから東京が好きなのかもしれない、見捨てないでおこうねと、そんなことを話しながら飲んでいたら、すーとシオカラトンボが近づい…

1/3の勝率なんて夢とは言わせない!

この村とは付き合いが深い、高校生の時、スキー合宿で民宿に泊まった。縁あって両親がこの村に引っ越したあと、当時流行っていたブリジッド・フォンテーヌの唄う歌に「駅長さん」というのがあって、駅長さんていいなぁと思ってそうだ白馬駅の駅長さんになろ…

どんなにぼろぼろになっても

家って大切だと思う。そこに家族が生まれる、子供が育つ、年老いていく、その過程をずっと黙って見続けてくれている、どんなにぼろぼろになっても。僕が人生で学んだことはたった一つそのことだけだったような気がする。 2015年8月18日 ここに来るといつも思…

だから好き

コルビュジェとライト、友達になるなら、F.L.ライトだと思う。どうしてだろう?自由学園にはお世話になったからなぁ。 2013年8月17日 きょうは、ライトさんと友だちになれた。ライトさんは偉い、ちっとも偉そうになんかしない、だから好き。

あのころのabitareは夢のよう

いい家は草に覆われてもなお、毅然としている。元気にしているかなぁ? 2013年8月14日 30数年以上も前に設計した家と庭。草におおわれてもなおそこにある。建築は我流なれど、イタリアの建築雑誌・abitareを繰りかえし繰りかえしめくりながらスケッチをした…

F.L.ライトはやっぱりとてもえらい人だ

多分知らなかったと思う、でも自由学園のライトの池には赤蜻蛉がよく似合う、天才は偶然をも引き寄せてしまう。 2013年8月10日 F.L.ライトはこの国が蜻蛉洲(アキツシマ)であったことを知っていたのだろうか。もしそうだとしたら、F.L.ライトはやっぱりとて…

F.L.ライトがいまだって生きている

これだけ建築が虐げられるこの国で、これは奇跡に近い。 2013年8月10日 この町には、F.L.ライトがいまだって生きている。

西荻、阿佐ヶ谷スタイルの目は素敵だ

なぜか「見ること」が「見られること」より上位に置かれているけれど、それは違う。 2016年8月5日 窓は見るところであったり光や空気が入るところであったりするのは分かるのだけれど、窓は見られるところでもあることが忘れられていると思う。人間だって目…

1932年生まれの奥野ビル

ずっとここに在るということの圧倒的なちから。 2013年8月2日 ひさしぶりに1932年生まれの奥野ビル。やわな壁面緑化など断じて許さないぞ、という心意気。前景にザクロの木。

だからビールを頼んだ

またBUNDANNに行ってビールが飲みたい、中原中也を気取って。 2015年7月3日 日本近代文学館に行った。こんなところがあるんだなぁ、素晴らしい。文学のチカラなんてと思っていたけれど、こんな時代だからこそ、文学のチカラ、文字のチカラなんだなぁと思った…

オープン・カーみたいになった

だけど、このおじいちゃんはもういない。オープン・カーのようなデッキを作らせてくれたおじいちゃんに感謝したい。 2013年6月29日 90歳のおじいちゃんに少しでも夏を過ごしやすくしてあげたい言うのがお嫁さんの希望だった。だからおじいちゃんの部屋の前…

人が集まるということの大切さを

午前中の打ち合わせも機嫌よく終わり、さぁこれからどうしよう?と思っていて思い出したのが日仏学館の小さなお祭りで、東京でも数少ないお気に入りの場所。早速ビールとサンドウィッチを買い込んで、ひとり夏至祭り。ふと、思い出したのは「幸福になるには…

家は草木より立派であってはならない

今は草木は建築より立派であってはならないのだものなぁ。 2014年6月24日このおうちの玄関は、ただアカンサスだけなのだけれど、なんだかよくて。鎌倉には「家は草木より立派であってはならない」という不文律でもあるのだろうか。

ル・コルビュジエが愛したブリーズ・ソレイユ

むかし母の書棚に「それいゆ」という雑誌が並んでいた。なんだかハイカラだった。いま愚息はブリーズ・ソレイユが好きだという。血なのかなぁ。 2017年6月14日 語感がいいからなのか、ブリーズ・ソレイユ brise‐soleil に魅かれる。直訳すると「 太陽を砕くも…

雪ノ下辺りのアカンサスの咲くお庭

この庭いいなぁ、何がいいんだろう?なんでもない、あまりにもなんでもない、きっとそこだろう。でもしっかりとアカンサスの花が咲いていたりする。 2014年6月23日 この国のいい住宅地は、ほとんどがお金持ちの住宅地になってしまったのだけれど、鎌倉もそん…