お暇したのは夜も9時を過ぎていた

  • この頃は家って、なんだろうというようなことをよく考えていた。今はもうそんなことを考えることはない。相変わらず、いやもっと大切なことになっているはずなんだけれど、そんな大切なことを考える余裕を時代は失ってしまったような気がする。決定的に大切なことはもう考えないでおこうよ、見てみないで生きていこうよ、そんなふうになっているのかな?

    2019年10月22日
    10月20日、久しぶりに穏やかな休日だった。午前中溜まっていた仕事を片付けて、いざスミレアオイハウス20周年オープンハウスへ。スミレアオイハウスというのは建築家増沢洵さんが1952年に設計した最小限住宅・9坪の家で、知る人ぞ知る戦後住宅建築の小さな名品だ。そんな9坪ハウスに惚れ込んだ萩原修さんが、この家に住むんだと言って20年前に武蔵境に建てたがのスミレアオイハウスだ。以来この小さな家の魅力にとりつかれたたくさんの人たちが押しかけて、お酒を飲んだりおしゃべりしたり勉強したりしてきた。そんなスミレアオイハウスが生まれて20年がたった。当時小学生だった萩原家の姉妹スミレちゃんやアオイちゃんも今やすっかり大人になって、いい家というのは人を育てるんだなぁと久しぶりに会ったスミレちゃんやアオイちゃんを見て思った。そんなスミレアオイハウスが一つの歴史を終え、さぁこれからどうするのかなと思って行ったらうれしい報告があった。スミレアオイハウスが民泊になりますということだった。つい最近、大阪に行ってゲストハウスと呼ばれる新しい宿に泊まって面白いなぁと思っていた矢先だったから、おぉいいぞいいぞと思った。今や建てては壊し建てては壊しするのが当たり前になってしまった家だけど、こうやって一つの役割を終えて少し手直しして、第2の役割を務めてそしてまた少し手直しして第3の役割を務める、家って本来そんなものなのに。久しぶりのスミレアオイハウスがとっても居心地が良かったものだから、ついついお酒も進んで、お暇したのは夜も9時を過ぎていた。その頃、スミレアオイハウスはラグビーパブリックビューイングの場になっていた。いい家ってつくづくいいなと思った1日だった。萩原家の皆さん、そしてお手伝いの皆さんどうもありがとうございました。