概ね年賀状は書いた。でも遅くに届く年賀状があったり、あの人には書いておかねばと思ったり、これだけは伝えておきたいなどという言葉がぼつぼつと出てくるからなかなか終わらない。でもそういうことはずっと起こリうるから、一年中年賀状を書いていることになるというか、とにかく郵便が好きなのだから、毎日年賀状を出せばいいじゃないかとも思う。で、一息ついたので、いっぱいということで坂を降りてサイゼリアへ行って、赤ワインと白菜のクラムチャウダーとイタリア風モツ煮込みとエビクリームグラタンを頼んで、イタリアに行こう、イタリアに行って、スペインに行って、ポルトガルに行って、もう帰ってこない!というような年の初めの夢を見た。
方丈記みたいな小さな家
集合住宅じゃない、庭付き一戸建てでもない、方丈記みたいな小さな家、これが結論だろうなぁと思う。
2015年1月3日
いつもここに来ると思う。小さな家と,小さな庭と,いっぽんの木があればと。「みんなで住むことが楽しい」と叫び続けてきたけれど。ひとりで生まれてきて,ひとりで死んでいくのだから。やっぱり小さな家と,小さな庭と,いっぽんの木があればと。
2015年1月3日
いつもここに来ると思う。小さな家と,小さな庭と,いっぽんの木があればと。「みんなで住むことが楽しい」と叫び続けてきたけれど。ひとりで生まれてきて,ひとりで死んでいくのだから。やっぱり小さな家と,小さな庭と,いっぽんの木があればと。
人はなぜ描くの?っていう問い
去年の多摩センターのスターバックスから見える風景、全然変わってないようだけれど、もう絶対に戻らない。愛おしいなぁ。
2021年1月3日
去年のお正月ももっと描かなきゃと思った。でもそれほど描けなかった。今、去年のスケッチブックを取り出して眺めてみると、うまく描けているものにも、いやだなぁと思うものにも、何かがそこに在るなぁとは思うのだった。人はなぜ描くの?っていう問いへの答えは見つかっているのだろうか。人は心の平安を得るために本を読むといったようなことを言った人がいたけれど、それとも少し違うような気がする。だから結局何故だかわからない。でも年をとるにつれて描くということがとてもいとおしいことだということだけはわかってくる。さぁ今年こそいっぱい描きたい。
老母に代わって赤ん坊が
10年前のアクティブなお正月、若かったのかなぁ。10年後の静かなお正月、老母に代わって赤ん坊が居る。
2012年1月2日
29日、古本屋のおじさんのようになって、仕事場の本棚の掃除をしていた。捨てるものは捨てて、大切にするものは、もっと大切にして、少し秩序らしきものが生まれて、ようやく頭の中に少しの秩序が、頭の中の大掃除。翌朝、5時に起きて、京都に向かった。老母への新年の挨拶。バスに乗って御所に、ふらふら歩いた。新島襄の急居のアールのついたサザンカの生け垣がよくて、門柱の郵便受けの詳細にほぅと思い。ふらふらと寺町通りを歩いた。そのたたずまいが気に入りのtorinoutaは休み、一保堂さんで大福茶を購ったので、今年は大丈夫。スマート珈琲店のオムライスは食べそこなかったけれど、錦市場へ、卵焼き屋が健在なのを確認して、ぎゅうぎゅうになりながら、お正月の食材を買い求める京都の人たちに安心し。そんな京都が言ったのは『じたばたするな』と、だてに千年の都ではないのだな。19時過ぎ伊勢丹の地下で鯛の弁当は買えなかったけれど、23時過ぎ多摩に。深夜NHK教育『ニッポンのジレンマ 新世代12人の論客たちが日本の難問に挑む!』を見た。あんちゃんのような論客が輝いて見えた。茶髪の女子たちが頼もしかった。もう、若い人たちに任さなきゃ、もうマスメディアなんかって、おもっていたけれど、戦争を、原発を、震災を考えつづける、NHKには脱帽をと思うのは、甘過ぎるだろうか。その後も夜更かしを続けて、『知の巨人 梅棹忠夫がみた人類の未来』
千年のことを考えなきゃならなくなってしまった今、千年の都から聞くべきことはたくさんある。
2012年1月2日
29日、古本屋のおじさんのようになって、仕事場の本棚の掃除をしていた。捨てるものは捨てて、大切にするものは、もっと大切にして、少し秩序らしきものが生まれて、ようやく頭の中に少しの秩序が、頭の中の大掃除。翌朝、5時に起きて、京都に向かった。老母への新年の挨拶。バスに乗って御所に、ふらふら歩いた。新島襄の急居のアールのついたサザンカの生け垣がよくて、門柱の郵便受けの詳細にほぅと思い。ふらふらと寺町通りを歩いた。そのたたずまいが気に入りのtorinoutaは休み、一保堂さんで大福茶を購ったので、今年は大丈夫。スマート珈琲店のオムライスは食べそこなかったけれど、錦市場へ、卵焼き屋が健在なのを確認して、ぎゅうぎゅうになりながら、お正月の食材を買い求める京都の人たちに安心し。そんな京都が言ったのは『じたばたするな』と、だてに千年の都ではないのだな。19時過ぎ伊勢丹の地下で鯛の弁当は買えなかったけれど、23時過ぎ多摩に。深夜NHK教育『ニッポンのジレンマ 新世代12人の論客たちが日本の難問に挑む!』を見た。あんちゃんのような論客が輝いて見えた。茶髪の女子たちが頼もしかった。もう、若い人たちに任さなきゃ、もうマスメディアなんかって、おもっていたけれど、戦争を、原発を、震災を考えつづける、NHKには脱帽をと思うのは、甘過ぎるだろうか。その後も夜更かしを続けて、『知の巨人 梅棹忠夫がみた人類の未来』
千年のことを考えなきゃならなくなってしまった今、千年の都から聞くべきことはたくさんある。
一体いつになったら?
毎年毎年お正月には 世界は日の出を待っている を聞くのだけれど一体いつになったら?
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お屠蘇をいただいてから
みなさん、あけましておめでとうございます。穏やかな元旦を迎えることができました。珍しく年賀状を早めに書き上げることができました。今年は「さざんかの庭」を描きました。お屠蘇をいただいてから、孫と近くの公園に散歩に出かけました。私もキノも帽子が好きなところが似ています。子供たちの凧揚げが楽しそうでした。
やっぱり素敵な人だった
今年いちばんの嬉しいニュースと言ったら、初孫・きのが目の前に現れたことだった。ずっとどんな人が来るんだろうなぁと思っていたら、やっぱり素敵な人だった。
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