絶望せず、悲観せずという言葉

  • かつては、絶望と悲観の人だった、十数年前に広津さんに出会って以来、絶望しそうな時、いつも広津さんが現れた。

    2021年12月22日
    広津和郎という人の絶望せず、悲観せずという言葉に出会って以来、広津和郎をという人の周りをぐるぐると回ってきたけれど、ようやくまとまりのある一冊を読んだ。ひたすら地道に粘り強く生きなさいと、大正から昭和にかけてこの国が不穏な展開を遂げている時代に、左右の勇ましい言説に容易に飛びつくことなく、ただただ事実を見続けた広津にこの時代にあってますます惹かれていく。この本に書かれているチェホフやツルゲエネフの逸話がじんわりと味わい深い
    ツルゲエネフは人生の幸福とは何ぞや?と人に聞かれて、「それは悔恨なき怠惰だ」と答えたという。この世界の大文豪と言われているツルゲエネフは、老年になっても家をなさず、友人の仏蘭西の批評家の家に寄寓し、心ひそかにその友人の細君に思いを寄せながら、「人生の幸福とは?」「それは悔恨なき怠惰!」などと考えていたのである。
    「悔恨なきーそうだ、この言葉の中に、この孤独な老文豪が、如何にいろいろな反省に、自己を悩まし続けていたかという事がわかる。人生の幸福とは結局日向ぼっこだ、それも悔恨なき日向ぼっこだ、ああ、日向ぼっこさえも悔恨なしに許されないのかーそういった溜息の魅力がある。「散文精神について」広津和郎 p.155