「しん」としていること

広津和郎の「壁の風景画」を読んだ。広津和郎は初めてだし、大正から昭和の初めという時代背景も、そして短編集と言う形式も余りなじみがない。おもしろい訳ではない、退屈な訳でもない、ただただ静かなのだ、ただただしんとしているのだ。広津のことは「何処までも現実と対決し、みだりに悲観もせず、楽観もせず、粘り強く生き通していく」「歴史を無視して観念上で天高く飛翔する天才主義者や、歴史の動きの表面で泡立つ現象に一々喜んだり悲観したりする現実主義者を私は好まない」という言葉でなじんでいた、この10年ほど、広津のこの散文精神に折に触れ支えられてきた。今回初めてこの短編集を読んで散文精神とは「しん」としていることなのだと思った。