私は生きることより思い出すことの方が好きだ

時々、川本さんを読んできた。一緒に年をとってきて、ちょっとだけ先輩の川本さんの言葉がもっともっと近くに感じるようになってきた。ちょっとだけ引用しようと思ったのに、こんなに長くなってしまった。
妹を亡くした民芸運動家の柳宗悦はこんなことを言った。
「悲しみのみが悲しみを慰めてくれる。淋しさのみが淋しさを癒してくれる」(「妹の死」

悲しみや寂しさを無理に振り払うことはないのだと思う。
70歳を過ぎてから、いま好きなことは三つある。
ローカル線の旅、台湾、そして敬愛する作家、永井荷風
いまの仕事の大半はこの三つと関わっている。ローカル線の旅は、年をとって東京の発展と変容についていけなくなったから。
ローカル線に乗って地方の小さな町に行くと、自分の子供時代、昭和20、30年代の風景が残っていてほっとする。
「かつて人間は怒りではなく、高潔さで苦難に立ち向かっていた」
むろん「怒り」は人一倍ある。しかし、「怒り」をなまの形で表現するのではなく「高潔さ」に変える。ものを書く基本はそこにあるのではないか。
週刊朝日の記者をしていたとき、青森県・三沢の米軍基地を取材した。そこでの米兵の言葉が忘れられない。
「君たち日本人はいい。反戦運動をして安全に家に帰れるのだから。僕たちは明日ベトナムに行かなければならない」
今でも私と年齢の変わらないこの米兵の言葉が重く残っている。戦争反対というとき、彼の言葉を忘れないようにしている。
「私は生きることより思い出すことの方が好きだ。結局は同じことなのだけれど」
フェリーニ監督の遺作「ボイス・オブ・ムーン」(90年)の中の印象に残る言葉だが、年をとることの良さのひとつは、「思い出」が増えることだろうか。
「思い出して生きること」川本三郎 2022年12月21日(水)朝日新聞朝刊