ものと暮らし、ものと生活

「民藝のインティマシー」鞍田崇著を読んだ。まだまだ具体的な姿を現しているわけではないけれど、民藝が柳さんがこんなふうに今も生きつづけているのがうれしい。
ハイデガーは、先ほどふれた「建てる・住まう・考える」という論考の中でこんなふうに言っています。死すべき者は住まうことをまず学ばねばならない。住まうことに固有の危機、それは人間の故郷の喪失ということである。p.134
なによりもハイデガーも日常生活の中での「道具」との関わりを論じました。たとえば、ハイデガーは「住まうことはいつでもすでにものの傍らにとどまることである」といい、柳は「ものへの愛は日々の暮らしに根を下ろさねばならない」という。ものと暮らし、ものと生活、というセットの中で自らの思索を進めて行こうとしたところも似ています。p.136
民藝が持っている現代性こそが、住まうことの学び直し的な要素です。p.138
「人間らしさ」とは何だろうか。ぼくは、あらゆる行動の原点に、自分自身の頭で下した判断を据えることだと考えたい。p.152