耳を傾けつつ、一緒にゆっくりと歩いていけばいいのである

「ミシェル 城館の人」を読んだ。堀田さんはモンテーニュを親しみを込めて、 ミシェル 、そんなふうに呼ぶ。とりとめのない文章、持って回った表現、なかなか困難な3分冊、堂々の1400ページであった。堀田さんはミッシェルが大好きだった。だから錯綜する16世紀ヨーロッパの歴史を調べ上げ、ラテン語と格闘し、エセーの一字一句に呻吟し、現代の僕たちの前にモンテーニュの全体像をなんとか描き出そうとする。世界人としてのモンテーニュ、そして世界人を目指した堀田さん、そんな二人を前にどんな言葉を?と思ったけれど、堀田さんが言うようにあてどもなく散歩をするように、寄り添えばいいのだなぁと。ミッシェルとの散歩はひとまづ終わったけれど、堀田さんとの散歩はしばらく続けたいと思ってる。僕たちにとってのいぶし銀のような先達としての堀田さん、知性だとか、知識人だとかいう言葉がまだ生きていた時代を颯爽と生き抜いた兄さんというか、父さんというか、おじいさんというかそんな風に堀田さんと付き合えればいいなと思う。
「けれども、普通に哲学と称されている書物の、生硬にして難解な言葉遣いになれた、いわば高級な読者には、ミシェルの談話調がかえって邪魔になって、彼はいったい何が言いたいのだ、と性急に結論を求めさせ、そんなに高級な結論などは何もないのだ、ということがはっきりすると、そこでぷいとこの書物を投げ出してしまうという結果を来すことがある。
耳を傾けつつ、一緒にゆっくりと歩いていけばいいのである。哲学には結論といったものがあるかもしれないが、人生に結論などない。」p.274 「ミシェル 城館の人 第二部 自然・理性・運命」堀田善衛

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