ソローという人は僕らの先生になれる人だ

この本は一生懸命読んだ、そうだそうだと言いながら読んだ。そういう本はそんなにたくさんあるものではなくて、たった一人で散歩しながらメモをとりながら、そんなことなら僕にもできるよ、と思ったからなのだろうな。大思想家でもなくて、大哲学者でもなくても、髭を生やしたおじさんの考え込んだことというのは頼りになるなぁ。

2017年11月2日
ソローね。「森の生活」を書いた人ね。知ってる知ってる。でも読んだことがないのだった。自然はとても大切だと言った人でしょ。でも、もうなんとなく時代遅れだよね。だからみんな分かった分かった、もういいよねという人にしてしまっていたのだけれど、「野生の学舎」はなにか気になっていたし、今福龍太さんはちょっと憧れるなぁと思っていたけれど、これが大あたりだった。ソローという人は、思っていたよりもっともっと深くて大きくて、そして新しい人だった。単なる変りもの、自然大好きおじさんではなかったのだった。とにかく歩くことから思想を紡ぎ出す人だ。今、どうして自然のことを考えることの周辺がこんなに難しいことになっているのだろう。ソローという人をもう一度丁寧にひも解くことを僕たちはずっとさぼっていたからではないかと思った。 思想などというとちょっと大げさかもしれないけれど、誰もが思想らしきものを紡いでいかなければならないのだとしたら、たった一人でそれも歩くことから思想と呼びうるようなものを紡ぎ出していったソローという人は僕らの先生になれる人だ。
「私はコンコードをたっぷり旅してきた。とソローはやや皮肉を込めた調子で書いているが、これは遠くに旅することで何かを知ったという思い込みを捨てて、自分の生活圏をくまなく歩きつくすことで得られる継続的で体験的な叡智こそを自らの知性の糧とすべきことをソローが信じていたことを物語っている。・・・・・こうしてソローの旅は、つねに散歩というつつましい形式において実践された。」p.36~37