京都に行って九鬼さんの

もう少し早く生まれていたら、京都に行って九鬼さんのお弟子さんになりたかった。最近はあまり聞かなくなってしまったけれど「恬淡」、いい言葉だなぁ。

2020年5月18日
団地で目通り直径60cmもあろうかというケヤキの樹が伐採される事になりそうです。だからここのところ少し辛い心です。でもそんな時、九鬼さんはいいんだよそんなに苦しまなくてもと言います。いつか僕も九鬼さんの心持ちになれるかな?
九鬼はこの「諦め」を「世知辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心」と説明している。現実化にこだわるのでも、また気概にしがみつくのでもなく、それを超えて恬淡であることによって「いき」ははじめて「いき」でありうるのである。p.84 九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ<ことば>の哲学 藤田正勝著
いつの日か「いき」な人になれるだろうか?