古書店の店主リベロと

この古書店主、いいね。

 

2023318

映画「丘の上の本屋さん」を見た。古書店の店主リベロと移民の少年エシエンとの本を通しての交流が静かに描かれる。店主が少年に最後に送った本のタイトルが意表をついた。このストレートさがずっと忘れていた真っ直ぐにものを言っていいのだということを思い出させてくれた。エンドロールで流れるイタリアンポップスがずっと抑えていた感情を爆発させた。古書店の抑制の効いた調度が素敵だ。人生の終わり方を描いた映画でもある。

https://www.youtube.com/watch?v=Nnr62moQH0U

 

歩いて耕して食べる歩いて耕して食べる

庭というより、道をつくりたい、畑をつくりたい。

2018年3月16日
おばあちゃんが大切にしておられた庭、木々は大きく育ち長い時間をかけて集められた草花たちは元気に育っていた。どうすればいいかわからなかった、だからお庭のまわりを一周する道を作ろうと思った。道ができる、お家の人たちがそこを歩く、まいにち歩く、そうこうしているうちに、今まで見えなかった風景が見えてくる。次に菜園を作った。歩いて耕して食べる歩いて耕して食べる、そんな庭ができればいいなと思った。あとはまたそれから考えればいい。

 

小さくていいものを求めることの方が

もうあまり西村伊作の名前は聞かなくなってしまった。かっこいい人だったなぁ。

2020年3月15日
コロナ・ウィルスの影響というのか、余波の余波を受けて、少しふさぎがちな日が続いていたけれど久しぶりに現場に出た。季節の木々と朝の光と職人たちと、やっぱり現場はいいなぁと思った。それも小さな仕事。西村伊作は「小さくて善いもの」を愛した。それを知った時、そうだそうに違いないと思った。
「葬儀のとき伊作は「小さくていいもの」というスピーチをした。・・・この葬儀は小さなものだけれど、皆が心を込めて集まってくれて、とてもよいものだった。われわれは多くを望みがちだが、小さくていいものを求めることの方が大切である。」・・・・という趣旨のものだった」きれいな風貌 西村伊作伝 黒川創著 p.170

 

何かそういう衰弱していく時のゆったりしたというか

「雨の日はソファで散歩」10年以上も本箱の隅に眠っていて最近ようやく掘り出されて、まさに今読まれるべき時に出てきてくれた。そう言えば最近は隠居暮らしという言葉は聞かなくなって定年退職なんていう身も蓋もない言葉になったけれど、やっぱり隠居でなきゃだ。ところでこの中で白眉は谷崎潤一郎さんの「まだ人々が《愚》という尊い徳を持っていた」という言葉。誰も彼もが賢くなってしまって、そして失ったのが徳だった。 
テレビを家の中に置かず、名刺を持たないとどういうことになるか。テレビ番組が話題になる大抵の席で口を聞かなくて済むし、人に会っても名刺を渡さないからすぐに忘れてもらえる。この情報過多時代にその人の身の回りだけがひっそり閑になり、都会の真ん中に住んでいて、世捨て人になれる。深山幽谷にいるから隠者ではない。身の回りの一つ二つのものを捨てれば、かなりの程度世を捨てられるし、世から捨てられるのである。池内紀さんの近著「遊園地の木馬」を覗くと、それを実践している池内さんがいて、感服した。p.42 
子供の目で見た素白の品川宿は、谷崎潤一郎のいわゆる「まだ人々が《愚》という尊い徳を持っていた」時代の美しい絵巻物の世界である。p.109 
隠居暮らしというのは要するに、ショーペンハウエルの「意思と表象としての世界」ふうに言えば、意志がぜんぜん無いわけです。現実とどう絡むとか、これで出世しようとか銭儲けしようとか、そんな人間の欲望の意志というものをまったく欠いた状態で、つまり表象の上だけで生きている。イメージだけで生きているわけですね。p.206 
それに、話しているのは思い出だ。現場の報告じゃなくて、全部意思を抜き取って、表彰だけにして書いているプルースト的な世界だから、読んでいて、すごく色が綺麗だなとか、音がいいなとかいう、印象派の絵を見たり、ドビュッシーの音楽を聴いているみたいな、われわれの世界で言えば流しの新内か何かを雨垂れの音と一緒に聴いているみたいな、


、駘蕩とした世界ですよ。p.219

ひとは周りまわりながら巡りめぐりながら

マリア・ジョアン・ピリス、大好きなピアニストの一人だ、そんなピリスがまさかのミスを犯して困惑している、でもさすがピリス、泣き出しそうなのにも関わらず素敵だ!若い頃はモーツァルトばかり聴いていた、でも今日久しぶりにピリスを聞いて、またモーツァルト聞こうと思った。ひとは周りまわりながら巡りめぐりながら生きていくのだなぁ!
https://www.youtube.com/watch?v=fS64pb0XnbI

 

街の自然の、そして幼児教育の大切さを

今日は孫娘キノの保育園への見送り当番日、途中座り込みのストライキに悩まされて途方にくれていたらいろんな人が声をかけてくれたにも関わらず座り込みが続いた。それでも「急がず焦らず」という人生の肝要ワードを反芻しながら歩き続け、ようやく1時間あまりかけて園に到着、キノと若い保育士さんとの熱いハグを見てようやくひと安心。それにしてもこの保育園、街の真ん中にあるにも関わらず「森のようちえん」とは看板に偽りありと思うなかれ!そんな既成概念をひっくり返す快挙を見せてくれている。街の自然の、そして幼児教育の大切さを再認識する見送り当番日。