世の中にはお似合いのカップルというのがあるのだと思う

すっかりウディ・アレンのこと聞かなくなってしまったけれど、どうしてるんだろう?もう一度元気な顔を見せて欲しい。待っているよ。

2017年1月29日
お気に入りの女優さんは一緒に年をとっていくから、しばらくぶりに会うと、わぁ、おばさんになったなぁと思う。きのうダイアン・キートンに久しぶりに会ったけれど、アニー・ホールやマンハッタンの頃のなんともおしゃれなニューヨーカーではなくて、とっても落ち着いてしまっていてちょっと淋しかった。この映画は年をとった老夫婦がエレベーターのないアパートを売りに出そうと開く週末のオープン・ハウスの顛末なのだけれど、40年近く誠実に生きて来たダイアン・キートンモーガン・フリーマン夫妻が、不動産売買という生き馬の目を抜くような世界に放り出されて、家ってなんだろう、まちってなんだろうって、もういちど考える話。
それにしてもキートンの相棒はやっぱりウディ・アレンだと思うけれど、世の中にはお似合いのカップルというのがあるのだと思う。ウディ・アレンダイアン・キートンと一緒に年をとっていけることをうれしく思う。
https://www.youtube.com/watch?v=je83RCgNOb8

 

夏彦くんとヘガティ

この本がなんだか好きで、本の好きのなり方にこんなのがあるのだなぁと思った。で、表紙をスケッチしてみたのだけれど、夏彦くんとヘガティはまさにこういうやつなんだろうなぁ。

2019年1月29日
川上未映子さんの「あこがれ」を読んだ。川上さんは変てこな人で風変わりな人で、そこが好きなのだけれど、書くものはまっすぐで気持ちがいい。この物語は夏彦くんとヘガティーという小学生の男の子と女の子の話で、というと初恋だの友情だのの話かなと思うけど、そんなのじゃなくて、もっとなんでもない淡々とした物語で、人と人は「一緒にいるよ」と伝えたい時、抱擁だとか手をつなごうとかということになるのだけれど、ヘガティー大丈夫かなって思った時、夏彦くんはヘガティーに「肩組もうか」っていう。もう僕たちは「肩組もうか」などというようなことは言わなくなってしまっているけれど、でも川上さんは抱擁や手をつなごうなんてことよりも「肩組もうか」って、いいよねと言っている。この小説では人の名前もとってもよくて、男の子は麦彦、女の子はヘガティ、そしてその仲間たちはチグリスやユーフラティスやリッスンやドゥワップという。 登場する犬もウールやコットンなんていって、もう僕はこれから犬を飼うことなどないと思っているけれど、今度また犬を飼うようなことがあればコットンと名付けようと思ってる 。それからこの二人は「さよなら」とか、「またあした」とか言う代わりに「アルパチーノ」というのだけれど、そんな不思議な夏彦くんとヘガティーだけの挨拶の言葉にも川上さんのヘンテコなところが出ていて、とってもいいと思った。

 

その線の細さというか

イーサン・ホーク大好きです。でも年取ったなぁ。リアリティ・バイツの頃は線の細い青年だったのに。その線の細さというか、ナイーブさが好きだった。
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イーサン・ホークの監督作『ワイルドキャット』の主演をイーサンの娘マヤ・ホークが務める。マヤが米作家フラナリー・オコナー役を演じるこの伝記映画では、最初の小説が出版されるまでのオコナーの苦労を描くという。
ジョージア州出身の敬虔なカトリック教徒であるオコナーは、名誉あるアイオワ・ライターズ・ワークショップに招待された後、米南部や信仰をテーマにしたフィクションで知られるようになるが、全身性エリテマトーデスを患い39歳の若さで他界した。オコナーの作品は、現在も人気があるほか、研究の対象ともなっている。
イーサンは、今月ケンタッキー州ルイビルで撮影開始した同作について「マヤはこの作品を実現するために何年も努力を重ねてきたから、フラナリー・オコナーの素晴らしさを新しい世代の映画ファンに紹介できる機会に感謝しているよ」「彼女の作品は、全てのアーティストにとって大切なテーマを掘り下げている。創造性と信仰の交差点や想像と現実のぼやけた関係をね」と語る。

 

今できることさえやれればいいな

最近はちょっとココロがささくれだっているけれど、久しぶりにこの本のことを思い出して、ほっとしている。「美しいこと」なんて言葉にするのが難しいようだけれどシンプルなことなんだ。

「無理しないでじわじわじわじわ今できることさえやれればいいな」

「敢えてあとひとつ、と所望するのは、目の前に共に笑ってくれる人のいてくれること」

 

2016年1月26日

この間代々木上原のロス・パペロテスで手に入れた赤木明登さんの「美しいこと」はさぁーっと読んでしまえる本なんだけれど、いやいやいいことが書いてある、うれしいことが書いてある。

「選ぶのを迷ったら、目を閉じて、手を信じるといいよ」シュテファン・フィンク、木工職人

「靴は、私たちの人生を運んでくれるたいせつな乗り物だからね」アナベル・シュテファン、靴職人

「 細く長く、ずっと好きでいてくれる人がいてくれれば、作り続けることができる」「本当に身のまわりの、当たり前のことから始めているだけで。無理しないでじわじわじわじわ今できることさえやれればいいな。手に入った糸や布と、ただ向き合っているだけでいい」 坂田敏子、デザイナー

「ものを作る人は、美しいものと出会わなければならない。才能のある者のところへは、古今東西を越えて、美しいものたちが集まってくる」「でも、俺さぁ、ものを作ることで初めて人と繋がることができたんだよ」内田鋼一、陶芸家

「人と人、人とものは、必要とするものどうし必ず出会うように最初からなっている。ぼくには、そうとしか思えない」永見眞一、家具デザイナー

「 とにかくよろこびは、これでもかと仕事をして、ほどほどに酒を酌むこと。罰当たりな愚生にゆるされるのはこのふたつのみ。敢えてあとひとつ、と所望するのは、目の前に共に笑ってくれる人のいてくれること」望月通陽、染織家

 

 

街には変わっていいものと変わっちゃいけないものがある

日曜日に多摩中央公園改修計画の市民説明会があった。街には変わっていいものと変わっちゃいけないものがある、街の中央公園は軽々に変わっちゃいけないものだと信じる僕は、この改修計画をとても危惧している。今回の説明会では僕の危惧は幾分小さくはなっていたけれど、ぜひ「オームステッド、セントラル・パークを作った男」を読んで欲しいと発言した。で、帰りに多摩センターの丸善に寄ったら、「オームステッド、セントラル・パークを作った男」が堂々と本棚に並んでいた。多くの多摩市民がこの本を読んでニューヨークのセントラル・パークについて、街にとっての中央公園の意味について知ってくれるといいなと思った。