でも彼らは走り続ける

ドリス・ヴァン・ノッテンは庭からインスピレーションを得て服を作る。じゃ、庭を作る人は何からインスピレーションを得て庭を作るの?大地?自然?アート?神さま? どうも神さま?のような気がするけれど?

 

2018年1月21日

ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』を見た。ずっと、アントワープの6人という人たちのことが気になっていた。よくわからないままかっこいいなぁこの人たちと思っていた。そのうちの一人がドリス・ヴァン・ノッテンだ。ドリス・ヴァン・ノッテンの庭が見たかった。庭を歩く姿が颯爽としていた。 花を摘んで畑の野菜で料理を作って、そんな田舎の生活を大事にする人だった。彼の作る服も、彼の庭みたいだった。でも時代が下がるに従って、ちょっとついていけなくなっていた。そうか彼は庭師ではないんだ。ずっと走り続けなくてはならないデザイナーなんだと思った。アーティストやデザイナーと呼ばれる人たちを見ていて、そこにとどまっていて欲しいと思うことがよくある。でも彼らは走り続ける。走り続けなくったっていいじゃないかと僕なんかは思うのだが。

https://www.youtube.com/watch?v=l2TXSfZ7FzE

 

 

すごく残念なことだ

ずっーと舟越さんが作る彫像みたいな人に会えるかなと思ってきたけれど会えない。誰も舟越さんの彫像みたいな人にはなれない。

 

2021年1月21日

舟越さんの彫像が好きだ。普段着だけれどとても端正なセーターやシャツを着ている。髪のかたちもきちっとしていて、とても静かだ、それでいてとても自由だ。こういう人になれたらなあ思う、でもこういう人はなかなかいない、こういう人になるのはとても難しいことなのだと思う。よく昔の人はいい顔をしていたという、舟越さんの作る彫像たちは昔の人のいい顔とも違う。もちろん今の人の顔とも違う。じゃあ未来の人はこんな顔になるのだろうか。そんなこともなさそうだ。昔も今も将来も僕たちは舟越さんが作る彫像のようなたたずまいを持てない。すごく残念なことだ、とても淋しいことだ。




 

いかんいかん、ボナールになるんだった

いろんな人に憧れてきた、いろんな人になりたいと思ってきた、でも結局、誰にもなれずにいる。ただただ「自分自身」になるしかないのだけれど。ようやくそんなことがわかってきた。

 

2013年1月20日

十年以上前、原宿にあったバーソウ・フォト・ギャラリーでブレッソンの撮った、ボナールに出会った。いいなぁと思った。こんなじぃさんになりたいなと思った。でもいつの間にかもうそんなことすっかり忘れていた。そして昨日またブレッソンの撮ったボナールに出会った。そしてボナールみたいになりたかったことを思い出した。どうやら十数年、どんどんボナールから離れていっていることに気がついた。いかんいかん、ボナールになるんだった。忘れちゃいけない。




 

恥ずかしい邦題の映画が好き

メディアが伝える北欧の国々ってとってもしあわせそうなのだけれど、北欧の映画はいつも苦くてすっぱい。

 

2017年1月20日

すこし期待はずれではあった。言っているのは老後を支えるのは、行政でも福祉でもなく、地域であり隣人たちであるということ、それを福祉先進国のスウェーデンの映画が言っているところに説得力があった。でもどんな映画にもへぇー思うところがある。彼の国々のひとたちにとってSAABをとるかVOLVOをとるかには大きな違いがあるということ、ヨーロッパの車文化の奥深さをかいま見た。もうひとつ、オーヴェの若い頃の恋物語がすばらしい、イーダ・エングボルのチャーミングなこと。それにしても洋画の邦題ってどうしてこんなに恥ずかしくつけるのだろう。でも、恥ずかしい邦題の映画が好きなのだから仕方ない。

https://www.youtube.com/watch?v=MTGVwDPxQLw

 



ゆっくり、のんびり、だらだらと

お国柄を表すのにいろんな言葉があるけれど、僕にはこの言葉が一番ぴったりくる。で、じゃ今の僕たちのお国柄はなんて表せばいいのだろう?「いそいでいそいで、おおきくおおきく、おかねおかね」とでも言えばいいのかな。

2012年1月19日

It (our culture) has developed slowly,easily,lazily.    by E.M.Forster 

『イギリスの文化は、ゆっくり、のんびり、だらだらと育ってきたのです。』 

多分そうなのだろう、でもいつだって忘れてしまう、それで息苦しくなってしまう、そうなってようやく、こんな言葉を探し当てて、一息つく 。もうそろそろ、色んなしがらみから離れたい、この言葉は、その事を良しとしてくれるのだろうか 。昨年夏、建築家のHさんが、悪戦苦闘なんてしちゃいけないと言っていた。

 

 

「君はともだち」になってしまったのかもしれない

それにしても、この事務所くらいなぁ、別に根が暗い人間ではないのだけれど、根は明るいのだけれど。でもあの蛍光灯というのが死ぬほど嫌いなのだよ。

 

2020年1月19日

なぜだか恒例になってしまった、Japan Landscape Forum・スケッチ塾の新年会が今年もcafe dodoで開かれた。かつてはいろんな集まりをここで開いていたけれど、少しづつ少しづつ少なくなって、今ではこの会も数少ない一つになってしまった。最後にみなで集合写真を撮ったけれど、なぜだかみんな笑ってた。この分だと来年もやるのかなっ? で、後片付けも全部終わって聴きたくなったのはyou've got a friendだった。何度も何度もやっているうちに、「君はともだち」になってしまったのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=eAR_Ff5A8Rk