ついに僕たちが辿りついた庭園論

「地表に軽く触れるにとどめることだ」この言葉がすべてを語っている。ついに僕たちが辿りついた庭園論。

2016年1月14日
昨年末の朝日新聞の「 書評委員が薦める「今年の3点」」に評論家の武田徹さんが「動いている庭」ジル・クレマン著を取り上げてこんなことを書いていました。
「庭」を舞台に自然環境を支配しようとする欲望を越え、誰にも支配されず、誰をも支配しないリベラルな境地を示したと読めば庭園論やエコロジー論を越えた広がりを持つ。
それで2015年6月3日の日記を読み返してみました。
「没道徳性」だの、「技芸からの徹底した逸脱」だの、野原のことをこんな風に語った人はいるかって思いました。「庭仕事を放棄して 地表に軽く触れるにとどめることだ」なんて。恵泉のmeadow garden を歩いていて、なるほど、これが「地表に軽く触れるにとどめることだ」と思ったのでした。
「地表に軽く触れるにとどめること」なるほど、今年はそんな庭が作ってみたいです。

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やっぱりとてもうまがあってしまった

  • 「硬すぎもせず、柔らかすぎもせず、おしゃれすぎもせず、野暮ったすぎもせず」そうだったのか、僕はこんな風でありたかったのか。ロス・パペロテスいいよね。

    2016年1月12日
    きのう代々木上原に降りた。初めてのまちだった。おもしろそうな古本屋さんがあった。ロス・パペロテスという。とても気になったから仲間と別れてから戻った。やっぱりとてもうまがあってしまった。 「古い紙」という意味なのだそうだ。かたすぎもせず、やわらかすぎもせず、おしゃれすぎもせず、野暮ったすぎもなく、こんな古本屋さんがあったなんて。和田誠さんと「考える人」他数冊を買った。ひくく音楽がかかっていた。ハナレグミのダレソカレソなのだと言う。欲しいなと思ったこのCD。ここ数日ちょっと沈んでいた。そんなの忘れさせてくれるちからがいい古本屋にはある。それにしても元旦に引き続いてまたもや須賀さんに出会った。やっぱり今年は須賀さんをセンセイにすることにした。
    ことしも、さぁ、あるけあるけ!
    https://www.youtube.com/watch?v=6nsNlQkLguo

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美しくも愚かしいこと

the beautiful foolishness of things 「美しくも愚かしいこと」 いいなぁ! 岡倉天心という人はこんな粋なことを言う人だったとは。

2017年1月10日
お正月ももう10日になってしまいました。今年は喪中ということで個人としては年賀状を控えているのですが、法人というか社会的存在としてはやはりご挨拶しなきゃということで遅くなりましたが、みなさま本年もどうぞ良いお年をお送りください。

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都市というものを君はちっとも分かって居ない

朝6時過ぎに飛び込んだイノダコーヒーのことは忘れられない。京都よ君は偉い。東京よ今しばらくは京都に勝てない。どう頑張っても君は勝てない。都市というものを君はちっとも分かって居ない。

2017年1月8日
むかし、冬、朝6時前に夜行バスで京都駅に着いた。寒くて寒くてでもまだどこも開いていない。ふとイノダ・コーヒーは朝7時からだと聞いたことを思い出した。店の前についたのは6時過ぎだったから外で待っていたら、どうぞと中に入れてくれた。7時からでは?って聞いたら、えぇオーダーを取るのはね。でも6時から開けているのですよとお店の人が言った。店内にはすでに数人の近所の旦那衆が悠然と朝刊を拡げていた。あ、これが千年の都だなと思った。それ以来、やっぱりイノダが好き。

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「今日の憂いは今日にて足れり」

最近は立川駅構内のPAULでぼーっとすることが多い。夕方早めにワインセットを頼むと少し背徳感にさいなまれるけれど、「今日の憂いは今日にて足れり」なのだからいいことにしてしまう。

2021年1月8日
お正月はお昼はなんだかダラダラしていて、夜になるとコロナ禍に関するニュースに鬱々とした気持ちになったり、大変なことになったなぁと思ったりしていた。でも今朝は朝早く起きて、電車に揺られて今年初めての現場に立ったのだけれど、そこには政治も経済もコロナ禍の気配もなくて、久しぶりに清新な空気があった。この頃は「すべての解は現場にある」と強く思うのだけれど、慌ただしく移り変わる世界に翻弄されているところから急に現場に出てみると、どうもこちらこそが世界だと思ってしまうのはなんとも独善的で視野の狭いことなのだろうかと、「現場にこそすべての答えがある」という確信が揺らいでしまって困った。

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残された時間はどうする問題

病に伏せっている。なんだか大変そうだけど、お腹を冷やしたようだ。だから布団の上でゴロゴロしている。それでも大病ではないから頭は働く、だから今日は半休を取って今年はどうする問題を考えていた。でもこの年になると、今年はどうする問題は残された時間はどうする問題に直結する。色々考えていると、概ね、描く、つくる、弾く、見る、お礼をする、くらいに整理される。前4つはこれまでも考えてきたことだ。で、5つ目は今回具体に初めて姿を現した。短いようで長い人生、やっぱり色んな人たちにお世話になってきた。特に僕のように頼りなげに生きてきたものにとっては、そんな人たちのお世話なしには成立しなかった。だからそうした人たちにお礼をしたい。展覧会のようなものだ。こんなものを作ってきました。ありがとうございました。そのような会だ。オープニングパーティではシャンパンで乾杯してみんなにご馳走したい。会場はヒヤシンスハウスがいいなと思ってる。貸してくれるだろうか。5年後ぐらいがいいなと思ってる。そんなことを病に伏せながら考えていた。終わりよければ全てよしなんだから。

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なんてこった!

このカレンダーがとっても気にいっていて10年以上も使っていたのだけれど、去年で絶版となってしまった。僕のお気に入りはいつもすぐなくなってしまう。なんてこった!

2016年1月5日
いつも仕事始めにはカレンダー貼りをします。今年も365日を手に入れたのだけれど、既に4日過ぎてしまったからあと361日あります。たくさんのようだけれどすこしです。こうして365の日々を一覧してみると、まだ悲しい日もうれしい日も分かれていないけれど、そのからっぽが新年らしくていいですね。

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