今からでも遅くないです

今年最後に言いたいこと。
新図書館プロジェクトは「知の地域創造」ではなかったのですか。もし「知の地域創造」だというのでしたら、「緑陰の読書」だというのでしたら、「公園の中の図書館」だというのでしたら、緑陰の下を図書館の門を潜りたかったです。本を読んでいろんなこと考え想い、帰り道はその余韻にしたりながら大きな緑陰の下をゆっくり家に帰りたかったです。「知の地域創造」というからには、そんな図書館ができると思っていました。京都の疏水沿いの「哲学の径」みたいにみんながいい顔をして、いい物語の余韻にしたりながら帰る生活が始まるんだと思っていました。もう言葉遊びはたくさんです。「知の地域創造」「レンガ坂が生まれ変わります」「市民協働」「まちづくりワークショップ」などなど。多摩市は平和非核都市宣言をしていると聞いています。平和って、市民が街に誇り持ち愛着を持ち、そんな環境の中で平穏な生活を送れて初めて平和な生活のなんたるかを理解できるのではないでしょうか。絶えず木々を斬り絶えず壊しいつだってブルトーザーが走り回ってる街で、平和な暮らしって何かなんて考えられないと思っています。軽々しく平和って言葉を町の冠にすべきではないのではないでしょうか。このようなことを繰り返しているうちに、京王プラザホテルが去り、恵泉女学園大学が閉校になるという、そしてそれらに代わってTという団体がやって来るという。私にはこの流れは必然だと思えてしまいます、少しづつ少しづつそしてついには大きく街を壊し続けた結果だと思っています。世界が競って Walkable City に舵を切っているときに、多摩ニュータウンは40年前から今に先がけてWalkable Cityを実践してきました。それにもかかわらず、よりによってみんなが本を読み、想い、考える場所である街の拠点のすぐ横に満足な木陰もない高速道路のような、ある人の言を借りれば滑走路のような道を作るなんて「知の地域創造」の結果がこれなんでしょうか。いつまでこんなことを続けていくのですか。来年こそ本当の意味での「平和な暮らし」のある「市民が誇りと愛着の持てる」街に舵をきりませんか。






多摩ニュータウンならきっとできると思っています。