つくろうよつくろうよ「よろこばしい風景」を

「よろこばしい風景」なんてものが昔はあったような気がする。なんだかうれしい、なんだかたのしいというような風景があったような気がする。でも最近そんな風景に出会ったかと問われたら、さて、と首を傾けざるをえない。もうそんなもの無くなってしまったのか、僕たちがそんな「よろこばしさ」なんてものを見てもちっともうれしく無くなってしまったからかもしれないけれど、どっちにしてもそんな「よろこばしさ」こそが毎日の元気の素なのになぁと思う。つくろうよつくろうよ「よろこばしい風景」を。そんな日々の元気のもとこそが風景だと思う。ふとしたことから再読した長田さん。
荷風の「あめりか物語」からほぼ百年、いまでもまだ、というより以前にもまして荷風の言う「同じごたごたを繰り返しているばかり」の世界の今日のありようからは、ますますよろこばしい風景が失われてきているのではないか、そのことが、私たちの日々のあり方をとても寂しいもの、索漠としたものにしているのではないか、ということを考えます。
世界はよろこばしい風景を取り戻すことができなくてはならない。そうでないと不幸だ。風景の広がりの中を旅し、旅を続けて得たのは、その変わらない平凡な真実です。けれども、今日の世界にとっての問題は、その平凡な真実こそが今ではむしろもっと得難い真実になってしまっている、ということです。p.134「なつかしい時間」長田弘

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