いつも立派にしていなければならなかったからこそ

【7日間ブックカバーチャレンジ 04】 
『鴎外の「庭」に咲く草花 牧野富太郎の植物図とともに』:森鴎外記念館 
永井荷風夏目漱石は草木や庭のことを書くので、日記や書簡集などをぱらぱらと眺めてきたのだけれど、森鴎外と庭や草木との関わりについてはあまりこれまで語られてこなかった、それに鴎外は帝国陸軍の軍医さんであるし、エリート中のエリートでもあって、あの立派な髭のイメージもあるから、こんな人だったとはと思うのだけれど、いつも立派にしていなければならなかったからこそ、庭や草木たちのまえではひとりの人にもどる必要があったのだなと思った。 
最近、気がついたのだけれど、お庭文学という分野がありうることを。永井荷風夏目漱石も、そして最近思うのは森鴎外も、お庭文学として読めるかなと。そしてそれらの中から、これまでなかなか見いだせなかった、これからのこの国の風景の庭のカタチが見えてくるのかなと思ってる。 
「最近自宅の庭に増えてきた西洋草花の名を確かめるべく小石川植物園に出向いた木村だったが「今頃市中で売っている西洋草花は殆ど一種も見当たらず、」「少しもその目的を達すること」ができなかった。しかし彼は「 不平の感じは起こしていない」それは代わりにこの空間が「子供が木陰に寝転んだり」「画の稽古をする青年が写生」したり「書生が四阿で勉強」したりする「窮屈」でない鴎外が最も大切にした〈自由〉な空間であることを発見したからだ。木村はこの空間で西洋の花の名を知ると言う当初の目的以上のものを看取できたのではないだろうか。「 田楽豆腐」初出 大正元年9月

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