こんな一日がまっている、いや

永井荷風のみならず、室生犀星もお庭の文学の人なのであった。うかつであった。七十までもうすこし、こんな一日がまっている、いや、いればなぁ。

「主人はたぎっている釜の湯へ新しい一杯の酌の清水を入れ、その杓で湯の中をしずかに廻して、そして茶器へその湯を移した。お茶はうまかった。主人はやはり七十で、そして朝夕庭へ水をまくことヽ、茶を淹れることヽで日をくらしていると言った。」
『故郷を辞す 金沢』 室生犀星 講談社文芸文庫 p.89