今日掘り出されたのは「ゴーシュの肖像」

ぼろぼろの本箱だけれど、宝物のような本も埋もれている。今日掘り出されたのは「ゴーシュの肖像」辻柾夫著、2003325日初版第三刷。20年前こんなの読んでたんだ。辻さんってこんなによかったの、辻さん、もう一度会えてよかったよ。

当たり障りのないつきあいに終始しているうちに、確実に病んで行くものがこころというものではないだろうか。p.57

カフェの対話

よしや、ここにも病気と貧乏があり、それより一層手厳しい世間があっても、今日、さわやかな驟雨のようにいきいきとおれの心を洗っていくものはモンパルナスの夕ぐれのカフェ、そのカフェの片隅にしょんぼり座っているやさしい二人の対話。p.57

ドナチ伯爵と私

やがて次の晩私たちが向き合うと、いつのまにかワルツが始まっていた、踊り続けることが生きること、踊り続けることが愛すること、踊り続けることが憩うこと、なのだった。p.73

問いの中で、問いを持ち続けたままでずっと生きていく、問いは、どんどんその人の心の在り方に生きて、問題、問い自身が深くなるし、広くもなる。その方が、世界を深く認識するし、物事をよく見るし、見えるようになる。いつ結論を出すか。それは宿題じゃないんだから、明日までに解答を見つけなくてもよい。ずっと問題を抱えている。大事なのは、それを忘れてしまわないで、問いを持ち続けているということなんだ、ということをリルケは言っています。そうすると、自分が知らない間に、ずっと前から一つの解答の中に生きていたんだということが分かる日が来るかもしれない、来ないかもしれないーということを言っています。p.80

思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶がぼくらの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生まれてくるのだ。p.112