我が青春は誤謬では無かった

今夜も古本コーナー用の選書のために本棚の整理、しかしながらたった数冊で頓挫、辻邦生の「美しい夏の行方、イタリア、シチリアの旅」で打ちのめされてしまった。我が青春は誤謬では無かった。辻さん辻さんと連呼していた日々は全く無駄では無かったのだった。
「おそらくハドリアヌスは二十年の絶対権力のあと、死の観念にとりつかれたとき、現実は、いかに加算しようと、決して永遠に達しない事を痛いほどに知らされたのであろう。永遠に向かうには、現実を加算する方向ではなく、現実を消去する方向へー夢の方向へ進まなければならぬことを、彼は、蛮族たちの踊りを見ながら、ローマ宮廷の饗宴に興じながら、疾走する軍用馬車に揺れながら、考えたのであろう。
普通は夢の空しさを知って老年を迎えるものだが、逆に、現実の空しさの果てに夢を養うとは、最もしたたかな芸術的気質に似ていないだろうか。」p.28
「どう見ても、広場を実用一点張りの見地から考えたものではない。そこにはユーモアがあり、気どりがあり、笑いがあり、冗談があり、遊びがある。そうした心の動きが広場を見ていると、そのままこちらに伝わってくる。その声と対話し、笑ったり、楽しがったりしていると、いつか夕暮れである。」p.53

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