島田雅彦さんに聞いてみれば分かるのだろうか

そろそろ断念とか諦念とかを受け入れてもいいのかなと思ってる。でも島田さんが言うように「断念ののちの悟り」にまではまだまだ遠いよな。

 

2014年1月11日

お正月3日の100de幸福論で島田雅彦が「幸せとは,断念ののちのさとりである」と言っていた。年が変わってから,この「断念」ということといっしょにいることが多い。とっても受け入れがたいものだと思ってきたのだけれど,吹っ切れたように感ずる。負け犬のようなのだけれど,ちがうと思っているが、まだ分からない。島田雅彦さんに聞いてみれば分かるのだろうか。