「野暮は揉まれて粋となる」

「いき」って、なかなか辛いものだなぁ、そんな辛さをおくびにも出しちゃいけないのだよね。むかし、九鬼さんにあこがれてあこがれて。色んな人に憧れるなぁ。

2021年4月25日
まぁ、なんとも粋なこと!
「「いき」は「浮かみもやらぬ、流れのうき身」という「苦界」にその起源もっている。そうして「いき」のうちの「諦め」したがって「無関心」は、世知辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりとした垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心である。「野暮は揉まれて粋となる」というのはこの謂にほかならない。婀娜っぽい、かろらかな微笑の裏に、真摯な熱い涙のほのかな痕跡を見つめたときに、はじめて「いき」の真相を把握しえたのである。」「いき」の構造 九鬼周造著 p.26
辛い話だなぁ、でも揉まれて揉まれてようやく、熱い涙の痕跡を経ての「いき」なのだ、周造さんだってそれを乗り越えたのだから、周造さんみたいになりたいのだから、頑張ろう。こういうところは、なんだか粋じゃないなぁ。