「誰かにバトンを手渡す仕事ではなく、バトンを地面に置くような仕事を僕はしたい」
「ねじれを解消することではなく、ねじれを直視しながらその状態を「持ちこたえる」ことを目指そう」
「道の片隅に咲く花に、気づけるひとは気づくんだ」
そんなことを考えていた加藤典洋さんが亡くなった。「バトンを地面に置くような仕事」ってなんだろう。加藤さんはさいごのさいごまでこれまで誰も教えてくれていなかったことを教えてくれた人だ。ご冥福をお祈ります。三途の川の向こうでもこの国のこと、そして戦後という時代のこと考え抜いてください。それにしてもこのポートレイトの素敵なこと!近頃、こんないい顔見なくなってしまった。いい顔であり続けなさい!これも加藤さんが教えてくれたことだ。
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■論争恐れず、見つめ続けた戦後
5月16日死去(肺炎) 71歳
「誰かにバトンを手渡す仕事ではなく、バトンを地面に置くような仕事を僕はしたい」
取材の終わりに、そう私に語った。戦後70年にあたる2015年のことだ。
戦後日本とは何なのか。そんな重いテーマを考え続けた評論家として知られている。
戦後生まれの加藤さんは「これは価値のあるものだから受け取ってくれ」という伝え方では縮小再生産にしかならないと観測していた。手渡すのではなく「どうしたら自分は受け取れるか」を一人で考え抜くことを通じて、誰かがその言葉を拾ってくれる未来の小さな可能性を開く。そんな覚悟の表れが「バトンを置く」だったのだと思う。
広く知られる著作「敗戦後論」は1997年に刊行された。戦後日本は「ねじれ」を抱え込んでいると分析した本だ。
多くの自国兵が死んだ戦争の意味を否定する形でしか戦後社会を打ち立てえなかったこと、平和や民主主義を掲げる憲法が敵国の武力によって押しつけられたものであること……。
目をそむけておきたくなるこうしたねじれを、直視すべきだと論じた。ねじれを解消することではなく、ねじれを直視しながらその状態を「持ちこたえる」ことを目指そう、とも。
政治的対立が根を張る情勢にあって、現実の複雑さに正面から踏み込んだその論考は、支持を得ると同時に批判や偏見にもさらされた。党派的対立が前面に表れて議論が深まらない論壇の傾向をぼやく瞬間もあった。それでも「戦争は悪だ」と信じ、最後まで平和主義と民主主義を血肉化しようと努めた。
論争を恐れぬ姿勢は2000年刊行の「天皇の戦争責任」にも表れた。戦後最大級の論争テーマをめぐり、社会学者の橋爪大三郎さん(70)と20時間以上討論した。昭和天皇の戦争責任を「戦後の責任」も含めて明確化すべきだ、と説いた。
「既存の思想の枠にとらわれず、戦後という時代の根底を見つめ続けた」と橋爪さんは加藤さんについて語る。「特定のイデオロギーや教条に基づく思想はどこかで折れてしまうから、そうでない根拠を探そうと純粋に模索していた。だがそれだけに、孤独でもあったろう」
30年以上の親交があるという僧侶の扉野良人(とびらのらびと)さん(47)は、数年前に加藤さんが漏らしたこんな言葉を覚えている。
「道の片隅に咲く花に、気づけるひとは気づくんだ」(編集委員・塩倉裕)
2019年6月22日朝日新聞夕刊 惜別より