新緑の季節の日曜日

サクラが終わって新緑の季節の日曜日、余りに気持ちいいから、食品庫の奥からワインをもち出してテラスでうつらうつら。
春は今なお春なのである。工場には原爆が蓄積され、都市には警官がうろついて、ラウドスピーカーからはつぎつぎに嘘が流されていても、地球はいまも太陽のまわりをまわっていて、独裁者や官僚はいかにいまいましく思おうが、それを停めることは彼らにもできないのだ。「一杯のおいしい紅茶」ジョージ・オーウェル p.110
境内には堂々たるイチイの木が聳えていたので、根元にあった説明を読んでみると、まさにブレイの牧師その人が植えたものだった。私はとっさに、ああいう人がこんな形見を残すとはおかしな話だと思った。ブレイの牧師はタイムズ紙に論説を書くほどの教養はあったとしても、とうてい褒められた人物ではない。だが、長い歳月をへた今残っている彼の形見は、戯れ歌が一つと木が一本だけで、いく世代にもわたる大勢の人の目を楽しませてきたこの木の功績が、この牧師の変節がまねいてきたさまざまな弊害より大きいことは、まずまちがいあるまい。

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