われら万障くりあはせ

かつて荻窪あたりでは変な人がいっぱいいて、みんなで将棋をしたり、飲んだり、釣りをしたり、日々淡々と暮らしていた。暗い時代であったろうに、それでもとにかく精一杯楽しく暮らしていた。

逸題
きょうは中秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
きょうは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
P.201 「荻窪風土記井伏鱒二