水の底にいるようだった

  • コロナ禍で延び延びになっていた。久しぶりの美術館だった。実は、ときめきいっぱいで出かけたのだった。ときめきはなかった。ただただ静かだった、水の底にいるようだった。英国でもなく、北米大陸でもなく、もちろんアジアでもなく、ここはどこだろうと思う世界だった。かといって風土とか地域性とかというものが希薄かというとそんなことはなくて、地域の匂いを強く放っているのだった。風土というものが徹底的に脱色されてきた時代にあって、ピーター・ドイグという人が現れて彼なりの風土のようなものを描いた。ピーター・ドイグが組み立てた新しい風景ではなぜか人間はゆうれいみたいに影が薄くなっている。この展覧会が、街から人がいなくなったこのコロナ禍の時代に開かれていることに不思議な暗示を感じた。ポストコロナの時代の風景ってこんなのかなって思った。

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