襟元をつかまえて、がたがたと

後期の授業がはじまった。ここのところちょっと、うまく行っていなかった。若い人たちの授業評価もじりじりと下がっていた。当初の情熱はずいぶん落ちていた。どうするんだどうするんだ、と堂々巡りをしていた。この本を読んだ。そうか、「届く言葉」なんだ、「襟元をつかまえて、がたがたと」でなくちゃなんだ。数年前には、やみくもに、そんな風に話していた事もあった。それが、パワーポイントにたよるようになってから熱は冷めていた。ちっとも届かなくなってしまっていた。もういちど立て直さなくちゃだ。で、今日を迎えた。夢中でしゃべり通した。終業チャイムがなったとき、「ふぅ」がでた。

「表層的なレベルでは、全く意味が分からなかった。でも、その文章を書いている人の「わかってほしい」という熱ははっきり感知できた。ほとんど襟首をつかまれて、「頼む、わかれ、わかってくれ」と身体をがたがた揺さぶられているような気がしたのです。・・・・これが僕にとっての「届く言葉」の原体験です。届いたのは、言葉のコンテンツではなく、言葉を届かせたいという熱意です。それは僕の脳にではなく、皮膚に触れた。それから僕は、長い時間をかけて集中的にレヴィナスのものを読みました。」「街場の文体論」内田樹ミシマ社p.286
http://www.mishimasha.com/books/machiba4.htm