2013-01-01から1年間の記事一覧

これからは何とかなるに

松本の再開発は比較的成功したと言われている。一時、そんな風にも思ったこともあった。でもこの夏休みに歩いてみて、信州の、山麓の町、松本はどこに行ってしまったのだろうと思った。いったい私たちは、町に対してなんとひどいことをしてきたのかと、暗澹…

夏休みを癒す休み

たった3日間なのに、みどりの中の人だった。で急にまた街の人に戻らなければならない。これがけっこう苦労する。だから今日は夏休みを癒す休みになってしまった。

色んなたいせつについて

この家はどうなってしまうんだろうと考えていた時に映画「夏時間の庭」をみた。まったく事情はちがうのだけれど、この長男の気持ちが痛いほどわかった。それでもなるようにしかならなくて、でも、ずっと眠っていたこの家が昨年から、また少し目を覚ました。…

とてもめずらしいことだけれど

松本市美術館の中庭はうまく行っていると思う。やわらかくて、しずかで、なんでもない。

また来年、来るから

家って何だろうって、ここにくるといつも思う。結論はやっぱり見えない。でも壊してしまったら、なくなってしまったら、そのやっかいな問いにさえ出会えなくなる。また来年、来るから。

彌生さんに会いに

旅の終わりは、松本市美術館に彌生さんに会いに。なぜだか元気になれた。

小さいながらもずっと続いて

1983年に始まった、白馬・和田野の森教会コンサート、リハーサルも楽しそう、演目もシューマンのピアノ五重奏曲とブラームスのピアノ三重奏曲ととっても渋い。小さいながらもずっと続いて欲しい音楽会。

これが信州のもてなし

駅の降り立つと古書店を探すことが多くなった。松本、慶林堂。店主がお茶を入れてくれた。これが信州のもてなしなのだと言う。小一時間も話しただろうか。古書店の棚にその町が見えるという。「荷風さんの戦後」半藤一利著と「老子の思想」張重元著を買った…

決して忘れないから

田舎の農家の庭先が好きだ。「自然でしょう」と言う英国風の庭でもなく、フランス風の整形式でもなく、もちろん日本庭園の流れをくむわけでもない。どこからも忘れ去られているのかもしれないけれど、ぼくは決して忘れないから。

なおそこにある

30数年以上も前に設計した家と庭。草におおわれてもなおそこにある。建築は我流なれど、洋雑誌abitareを繰りかえしめくりながらスケッチをした。あのころのabitareは夢のようだった。

思い出深い家がある

3日間の夏休みが終わった。白馬山麓に思い出深い家がある。ここに来ると考えることがある。「家」って何だろう。こんなものに引きづられてたまるかっておもう。これほど大事なものはないとも思う。 大きな木 大きな木蔭 夏休み (宇多喜代子)

だから銀座

でも、こういう銀座も突然現れて、だから銀座、いいぞ銀座となってくる

断じて許さないぞという心意気

つぎに、ひさしぶりの同じく1932年生まれの奥野ビル。やわな壁面緑化など、断じて許さないぞという心意気。前景にザクロの木。

言うべきところは言う

まづは1932年生まれの宮脇ビル。ちっちゃいけれど、奇をてらわないけれど銀座の空を後に言うべきところは言うということか。 続きを読む

なんだかんだ言っても銀座

久しぶりの銀座、なんだかんだ言っても銀座だと思う

できることならなんでもするぞ

今日の暑さは格別だから、冷房のある近くのコミュニティセンターに避難しようと思ったけれど、なんだかそれも悔しいから、できることならなんでもするぞと、まずは打ち水をして、なんとかここを死守するぞと思っているのだけれど、気のせいかいい風が吹いて…

いったいどういうことなんだろう

「サンディアゴ巡礼紀 ゆっくりカミーノ」という本を読んだ。映画「星の旅人たち」を見て、いつかサンディアゴ・デ・コンポステーラへの道 800kmを歩くんだなどと思っていた時に、経堂のすずらん通りの本屋さんで偶然この本を見つけた。これは神さまからのお…

この30cmがだいじ

町にとっても、家にとっても、道行くひとにとっても、おうちのひとにとっても、この30cmがだいじ。すきま風景の時代。

ジグザグレンガの庭ひとつ

国立通いも今日で終わった。残したあしあとは、ちっちゃなジグザグレンガの庭ひとつ。また来ますから。

この瞬間がいいのだが

植栽が終わって、そうじをして、最後に水をあげる。この瞬間がいいのだが、でもそれは、もう明日からは来なくていいということであって。

てくてくと

ふたたびの野火止用水てくてくと、てくてくとがいい。

一軒の家、一軒の店

これがとっても良くて、流れていたのは、フランソワ・アルディ「さよならを教えて」なのだから、町って、一軒の家、一軒の店で決まると思っている。それは前から思っていたのだけれど。でも今日、野火止用水沿いに一軒の店を見つけて、確信した。町がどんな…

ほぉこんなところに

八坂駅近く、水辺にカフェ、ほぉこんなところに、そろそろお昼にしようと思った。

おじさんは、麦わら帽子

自転車で追い越していったおじさんは、麦わら帽子、野火止用水と踏切、あっているなぁ

ノックはしなかったけれど

小さな橋を渡って、木立を抜けるとあか、きい、みどりの家、どんなひとがすんでいるのだろう。ノックはしなかったけれど。

赤いやね、青いそら

沿川をふらふら歩いていると、赤いやね、青いそら、明治学院、まなび舎はまなび舎らしくあれと!

「おかしいじゃないか」って

東京駅の真ん前に原っぱができた。まづは喜んでみたい。でも、モダニズム建築の雄、生みの親、吉田鉄郎さんならなんて言うのだろう、「おかしいじゃないか」って一喝するのかもしれない。ぐぅの音も出ない。(KITTE屋上庭園)

配下を従えて

再生東京駅は、じわじわとその存在感を増してきている、隣に再生中央郵便局と言う配下を従えて。(KITTE屋上庭園から)

こういう国土強靭化策なら

玉川上水に続いて、野火止用水を歩いている。江戸幕府は、ヒート・アイランドも地球温暖化も知っていたのかも、環境都市・江戸なのだから。こういう国土強靭化策ならいいのだけれど。

浮ついたところがないな

小平の都立薬用植物園に行ってきた。『柿のへた 御薬園同心 水上草介』の世界だった。中世の教会でも、江戸時代の御薬園でも既に生態系サービスだの、遺伝子バンクだのという概念がぼんやりとではあるけれど、あったのだなぁ。さすが、植物園の始祖、風景に…