藤原さんいいな

「植物考」藤原辰史著を読んだ。今の僕たちを取り巻く世界をこんなに的確に簡潔に言葉にしてくれた人がこれまでいただろうか。「私はそれを植物性からの人間の大きな乖離、あるいは、人間のうちなる植物性の弱体化と呼びたい」藤原さんいいな、もっともっと読みますから。石内都さんの表紙のバラの写真も素晴らしい。
マンクーゾによれば、植物は知性を、つまり、問題を解決する能力を持つという。それは問題から逃げないで、問題を解決する能力であった。根を持ち、環境に浸ることが本質である植物に、そもそも逃走という選択肢はあり得ないからだ。p.76
かつて、ゲーテもルソーもノヴァーリスも植物をまるで人間の魂や共和性を論じるように論じていた時代があったことを、ある種のノスタルジーとともに振り返っている自分に気づいた。あの知のあり方に、たとえそれに戻ることが著しく困難だとわかっているとはいえ、私は憧れを禁じ得ない。先人たちの植物をめぐる思考に触れ、歴史や経済を学ぶ人間が、植物について関心を持たない時代こそが、異常な時代なのかもしれないと感じることも少なくなかった。p.214
つまり、植物の美しさの根源は理解できるものではない。「意味のない美しさ」、無用の美しさだからこそ、その美しさを「経験」するしかない、というのがビュルガの見立てである。p.218
私たちは、根を生やしてそこから水とミネラルを吸い取ったり、光合成をして糖を生産したり、可憐な花を咲かせたりすることよりも、チーターのように早く進み、鳥のように空高くとび、モグラのように地下に穴を掘り、イルカのように海を泳ぐことに憧れ、実際にそのように産業文明を発達させてきた。地球に降り注ぐ太陽の恵みを存分に利用し、土壌の湿度と団粒構造を見極め、美しいものをもっと時間をかけて育て上げるような世界のあり方を、どこかで放棄してきた。人はそれを、社会の産業化というだろうし、環境問題の出現ともいうだろう。私はそれを植物性からの人間の大きな乖離、あるいは、人間のうちなる植物性の弱体化と呼びたい。p.226