それはとっても淋しいことだなぁ

この4人の中では、金子光晴かなって読み始めたのだけれど、これまで名前は聞くけれどほとんど読む機会がなかった山之口獏にひどく惹かれたのだった。それにしても「精神の貴族」といえるような人が、少なくなるのは仕方がないにしても、それを目ざす人もまた見あたらないって、それはとっても淋しいことだなぁ。
「獏さんを知っていた人たちは、みんな口をそろえて、かれのことを「精神の貴族」だったといっています。このことばがとても新鮮にひびくのは「精神の貴族」といえるような人が、すくなくなり、それを目ざす人もまた、現代には見あたらないためでしょう。
獏さんは、ポケットに一文もないときだって、いい調子で唄い、「今日はお金があるからごちそうしよう」というので、ついていってみると、いくらももっていなくて、ごちそうされるはずの人がごちそうをすることになったりするのでした。それでも、獏さんにおごった人は、逆に獏さんにすっかりおごられたような、まったく豊かな気持ちになったといいますから、まさに、現代の魔法でした」「うたのこころに生きた人々」茨木のり子著 p.204

 



操ではないのよ と女が言つたつけ
ひらがなのみさをでもないのよ カタカナで ミサヲ と書くのよ と女が言つたつけ
書いてあつた宛名の 操樣を ミサヲ樣に書きなほす僕だつたつけ
ふたりつきりで火鉢にあたつてゐたつけが
手が手に觸れて そこにとんがつてゐたあの 岬のやうになつた戀愛をながめる僕だつたつけ
またはなんだつたつけ
もはや二十七にもなつたこの髯面で
女の手を握りはしたんだがそれでおしまひのはなしだつたつけ