グライダーの時代は終わってしまったのだろうか

最近は、話をする人が80才とか90才近い人ばかりで、この週末も老母とお墓参りであった。そんな、もう100才に近い人たちとばかりと話していると、まぁ何とかなるやろと、いい加減なことばかりしてきた人生が急に、不安になってきて、まづいなぁ、これはたいへんなことになるなぁと急に慌てている。そろそろ老い支度と言うか、軟着陸の用意をしないと、ものすごく派手なハードランディングになってしまいそうだが、いつまでも夢みたいなことばかり考えていると言うことは、ずーっと上昇気流の間をさまよって飛んでいるグライダーのような気分であるが、年をとると言うのは、グライダーではないのだなぁ。最近はもう上昇気流なんていうものはとんと、どこにも吹かなくなっているようだから、だとすれば、どうすればいいのだろう。基本的にエンジンを持たずに、風のまにまに漂ってきたのだけれど、グライダーの時代は終わってしまったのだろうか。

ラジオを聞いていたら、ガブリエル・フォーレばかりかけるから、今日はずるずるとずる休みに入って行っている。それでちょっと後ろめたい気持ちでいたら、フォーレと言う人は、とっても清らかな人であるから、後ろめたくなど思わずでもよい、うんとこの旋律を聴きなさい、外は雨、外は緑、うちは音楽、それでいいではないかと言うから、すっかり気持ちが楽になって、じっとしている。しかしこんなことばかりしていたら、路頭に迷うことになりそうだが、大丈夫だろうか、と言うような気持ちになってくるのだけれど、路頭に迷うことが怖くてどうして音楽なのだと、フォーレなどと言う人は言うのであろうなぁ。