2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧
きのう、辻まことの「山からの言葉」という本を読んでいたら,ひとりで山ばかりに登っているKのことをふと思い出して,葉書を出した。そいつにはむかしはよく手紙だの葉書だのを書いていたのだが、何十年ぶりかに書きたくなったのだった。で、さっき電話があ…
久しぶりに吉田健一さんを読んで,いいなぁやっぱり,なんだかよく分からない、なにがなんだかわからないのだけれど、いいなぁと思ったから,うきうきふらふらしていたら吉田さんのコミュニティを発見して,なんだか吉田健一好きが集まる小さなバーに紛れ込…
最後の時間では,このビデオを見ながら,木を植えた男・ブフィエの話をしたのだけれど,ランドスケープや造園学の授業をしめくくるのに,ふさわしかったかどうかはわからない,そんなことじゃないだろうとも思うし,でもぼくにとってのランドスケープや造園…
「チェコ航空の飛行機はプラハの上空に着くとこの曲を流しながら静かに旋回しながら降りていくという話」が好きだ。ここにある愛国心というようなものは,ぼくたちの回りにある愛国心というような言葉とはずいぶん違ったもののようで、ちっとも勇ましくなん…
明日で最後のセンセイになってしまった。さぁ,これからという時に,別れはいつも唐突にやって来るんだから。最終講義なんていうかっこいいことはできないけれど、せめてちょっとだけおしゃれして出かけよう。
このあいだ古本屋さんで見つけた池内紀著「ひとり旅は楽し」をサイゼリアで赤ワインを頂きながら読んでいた。「海辺は冬がいい」の章の中に「港というより船置き場といった感じで、形ばかりの突堤に可愛らしい灯台が建っている」房総半島の先っぽ、布良とい…
Yさんのおうちのお庭をつくっている。入院されているご主人が戻ってこられたら,車いすでお庭を散歩できるようにという奥さんの願いだ。ここ2~3年こういう仕事をいくつかいただいた。ユニバーサルデザインだの,バリアーフリーだのという言葉がよく使われた…
お正月3日の100de幸福論で島田雅彦が「幸せとは,断念ののちのさとりである」と言っていた。年が変わってから,この「断念」ということといっしょにいることが多い。とっても受け入れがたいものだと思ってきたのだけれど,吹っ切れたように感ずる。負け犬の…
新年はじめての現場、しばらくはなれていたせいか、やっぱりいいな現場はと思う,きれいであるとか、ないとか,デザインされているとか、いないとか,ぽかんとただあるだけの地面,ただそれだけでいい、ことしも現場は生きている
今日もぽかぽかといいお天気です。お正月も4日なのに,まだ年賀状を書いています。でもようやく終わりがみえてきたので,最後になりましたが,みなさん宛のも投函致します。みなさまにとって,この地球にとって、よい年であることを願っています。
正月にはグレン・グールドも戻って来てくれる。 このおばあちゃんは誰なんだろう?こんなおじいちゃんになりたい。 https://www.youtube.com/watch?v=fy4XNfuwIuk&list=PL60C5B6D864089AE0
那覇は牧志市場の古本屋ウララ店主宇田智子さんが書いていた。朝日新聞「3畳の店ちょうどいい幸せ」に書いていた「店を始めて2年。続けてこられたのは,この小さな世界が,私がようやく見つけた自分の居場所なんだからだと思います」 智子さん,こんど那覇…
昼過ぎからCDをかけながら,年賀状を書き続けているのだけれど、はっとするのはバッハでもブラームスでもなく、石川セリが歌う武満徹だった。いま武満さんが生きていたら,どんなに今のぼくたちによりそう小さな唄をつくってくれただろうと思う。武満さんは…
きのうの100分de幸福論、一日たって残っている言葉は,哲学者・西研のまとめ「幸せとは,ほんとうを確かめあうこと」そうかもしれない,みんな確かめ合うことを恐れているのだ。そして島田雅彦の「幸せとは,断念ののちのさとりである」これまで「諦観」とい…
もうたくさんだと思ったり,もういい加減にしてくれと机をたたいたり,でも30年を経て,ようやく風景らしきものが立ち上がって来て、ここがぼくの終の住処なのか、こんなまちで満足していいのかとも思うけれど、情けないけれど,既にすこし愛してしまってい…
小さいながらも根拠地を持つということは幸せなことだと思っています。今年もここから見たり,考えたり,作ったりし続けたいと思います。ちいさくちいさくおおきくおおきく。
みなさま明けましておめでとうございます。多摩丘陵は穏やかないいお天気に恵まれたお正月になりました。お屠蘇でお祝いしたあと自転車で散歩の昼下がり「大丈夫だよ,根拠こそないけれど」そんな風に思いました。こんなのを一番危ない精神論というのかもし…