飄々とまたぎ越す存在

未だにまたぎ越す存在とまではいかない。でもふらりふらりとはしている。でも、それでいいか。

2016年3月23日
結局、どっちなのってよくわからなかったのだけれど、何度も読んでいるうちに、ようやく分かってきた。「飄々とまたぎ越す存在」か。
「自分でも一人前の大人か、青二才か分からないでいるしまつだった……けっきょく、何者でもなかったわけだ。ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ
男っぽくも女っぽくもなく、実直でも不埒(ふらち)でもない、そんな分類不能な存在に人は強い不安を抱く。厄介者であってもいいからまずは何者であるか、はっきりせよと言う。社会の設定した仕切りを飄々(ひょうひょう)とまたぎ越す存在こそ、人としての可能性を広げてくれるものなのに。」ポーランドの小説家の「フェルディドゥルケ」(米川和夫訳)から。(鷲田清一)折々の言葉から 2016年3月19日朝日新聞朝刊