なんだか桜守のような人

シビックプライドということばはすっかり聞かなくなってしまったけれど、そんなことばなど吹き飛んでしまう時勢なのかもしれない
2015年3月31日 ·
お天気がいいから,ことし第一回目のお花見をした。本番は土曜日だけれど,大阪のお城の前の高等学校の同級生たちが毎年ここに集ってお花見をするようになって久しい。もう10回を越すだろうか。料理が上手なかつての女子がちらし寿司を桶に入れて持ってきてくれる。世話役としてはいつまで続くの,もう勘弁してよと思ったりはしたけれど,今となっては場を天国に移してもとも思う。なんだか桜守のような人になってしまったけれど,桜守はなんどでもお花見ができるのがうれしい。といってもなんどもお花見をするようになったのはここ2〜3年で、年をとるにつれて深く桜に感じ入るようになっている。でも、さぁお花見だって、ひとり盛り上がるのは,概ねしごと時間中が多いから,やはりビールはまづい。だからおむすびなどをぱくぱくしながら桜をめでる。ひと頃 civic prideなんて言葉がはやりかけていたけれど,今はどうなってしまったのだろう。多摩ニュータウン富士見通りのお花見は間違いなくcivic pride だろうと思うのだが。