このやうに何でもない事ながら

なるほど、ここのところのこの気分はこういうことだったか。
「何が悲しいといふのではなく、何となく遣瀬(やるせ)ないのである。水原秋桜子
「新編歳時記」で俳人が「春愁(しゅんしゅう)」にこと寄せて書く。「春を楽しんだ心は同時に春の愁(うれへ)に沈まなければならない。とは言つても、それは強烈な悲しみではない。とりとめもない愁である」と。歓楽と悲哀の敷居はおぼろ。知らぬまにめくれ返っている。「春愁や草を歩けば草青く」(青木月斗)を引いて、「このやうに何でもない事ながら、それが皆春愁の種になるのである」とも。2016年4月29日朝日新聞朝刊 折々のことば 鷲田清一 より」