「庭のベンチ」でなきゃいけない思う。

ベンチを眺めている僕は、いつの間にかそこに座っている僕になって、気持ちいいなぁなんて思う、ただ眺めているだけなのに。こういうことをアフォーダンスの理論といって、美しい風景を読み解く鍵はそこにあるということを知って、おぉ、そういうことだったのかそういうことだったのねと鬼の首を取ったような気持ちになってから、もう20~30年がたつ。

2019年3月5日
ベンチというのは何だかいいもので、そこにいつもおじいさんやおばぁさんが座っているようで、小説一冊分の何かがあるように思う。だからいつもベンチも作りましょう、というのだけれど、なかなかハイいいですよ、ということにはならない。こういうベンチなどはストリート・ファニチャやガーデン・ファニチャなどと呼ばれるのだけれど、そう呼ばれた途端に何かが失われるようで、「庭のベンチ」でなきゃいけない思う。

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