平川克美の路地裏人生論」が終わってしまった。「なんてことしやがるんだっ!!!」って、血相を変えて言えなかった。声を出して言えなかった。平山は言えたんだなぁ。平山さん、またいつか。
「取り壊しが決定し、駅舎を囲む柵を見たとき、わたしは「なんてことしやがる」と臍(ほぞ)を噛(か)む思いであった。歴史の証人のような建築を何故(なぜ)壊してしまうのだと。・・・・機能を喪失した駅舎は、以前の駅とほとんど同じかたちで復元されてはいたけれど、役割を失った駅舎は遊園地の模型のようにわたしには何も語りかけてはこなかった。・・・わたしたちが、時代の変遷のなかで得てきた利便性と、失った光景を引き比べることはできない。破壊されたものは二度と復元することはできないのだ。路地裏人生論とは、路地裏にかつて息づいていて、いまは失われたものを、弔う気持ちの「遣る瀬」を探ることであった。近代化も利便化も時の流れであり、自然の過程で押しとどめることはできまい。進歩、前進、結構なことである。しかし、先人が築き、わたしたちが世話になってきたものを、踏み潰して前進する権利は、わたしたちには与えられていないと思う。役割を終えて、もはや役に立たなくなったとしても、失われたものがわたしたちの今をどこかで支えている。」
平川克美の路地裏人生論」2013年3月30日朝日新聞朝刊より
http://digital.asahi.com/articles/TKY201303270113.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201303270113