囲うことからはじまるのだと思う

庭をつくる時、まづ囲いのことから考える

どこを開いて、どこを閉じて

どれくらい開いて、どれくらい閉じて

だから肝心の囲いの中の部分は後回しになる

塀や囲いにお金を費やしてしまって庭の部分にはお金が残っていないということもよくある

でもに庭って、どこをどう切り取るのかだと思う、庭というものが一つの楽園だとしたら、とりあえず世俗に対して囲うことからはじまるのだと思う

だからひたすら塀をつくっている、柔らかい塀をつくっている