フレデリック・ロー・オームステッドは一緒に並んで歩く人

「オームステッド セントラルパークをつくった男」を読んだ。多分これまで誰も本当の意味でのランドスケープアーキテクチャーを、セントラルパークを、オームステッドを理解していなかったのではないかと思った。だからこそ今のこの国の風景なのじゃないのかと思った。オームステッドは自らをランドスケープ・アーキテクトと名乗ることが今一つ腑に落ちていなかった。オームステッドは彼の仕事をアートだと理解していた。彼のバックグランドがガーデニングでも建築でも都市計画でもなく、船乗りでありジャーナリストでありそして農夫であったことを知ってなんだかうれしかった、そして色んなことに脈略がついた。これまでいろんな人たちに憧れてきた、それは吉田健一であり内田百閒でありウディ・アレンであったけれど、それらの人たちはやはり憧れの対象であり、静かに重なるという対象ではなかった。憧れるのでも追っかけるのでもなく、なんだかとってもおこがましいのだけれど、フレデリック・ロー・オームステッドは一緒に並んで歩く人、そんなふうに思えたことが嬉しかった。