こんなところでどうしたの?

久しぶりに乗った朝6時前後の京王線はすでに結構な混み方だった。コロナ禍で、少しは世の中ゆっくり回るようになっているのかなと思っていたら、東京はもうすっかりフル稼働しているのだった。そんな東京から1時間余、越後湯沢の駅を降り立つと快晴の空が迎えてくれた。「越後妻有・大地の芸術祭」まづ迎えてくれたのは、50年前、僕達の英雄だったアイアン・マクハーグのエコロジカル・プランニングの手法による図面たちだった。こんなところでどうしたの?たくさんの時間が経って、マクハーグなんてエコロジカル・プランニングなんてもう忘れ去られているのかなぁと思っていたけれど、こんなところでひょっこり顔を出すなんて、マクハーグの思想が哲学がどっこい生きていたなんて、この大地の芸術祭の思想的バックグラウンドがマクハーグであり磯部行久であったなんて、そんなこと知らなかった。その時この芸術祭は面白いに違いないと確信したらやっぱりそうだった。里山が世界のさまざまないずれ劣らぬアーティストたちと同等に対峙し、あるいは優しく受け入れていたなんて!現代アートというとちょっと頭を抱え込んでしまうことも多いけれど、里山はそんなこわもてな現代アートを柔らかな表情に変える力を持っていたのを知って、改めて里山ってすごいなぁと思ったのだった。この国を救うのは、里山だなぁとちょっとフライイング気味に思ってしまったのだった。