3世代くらいかかってようやく見えてくる

水村さんの小説が好き。家族の長い物語を書く。3世代くらいかかってようやく見えてくるものがある。

2020年5月23日
久しぶりにすっかり小説の中にいた。昭和の初めからバブルの時代へとゆっくり過ぎていく時代、仲良くなってはいけなかった小学生の太郎ちゃんとよう子ちゃん、その二人を静かに支え続けたふみおねいさん。その周りの三枝家の3姉妹、重光家の人々の物語。終盤、太郎ちゃんが呻くように聞き返しました。「これがいい人生だった・・・?」「 だってそうだったじゃない。」「最高だったじゃない。これ以上ありえなかったじゃない。」それを聞いた太郎ちゃんはよう子ちゃんの手から自分の手を乱暴に振りほどきました。「 これ以上ありえなかった・・・?」 肩で息をして叫びます。「 そんなことない。」こんな風に閉じていく物語、読了して数日が経って、ようやく水村さんが1200ページを費やして言いたかったのは、このことだったのかなと思った。太郎ちゃんが言った。こんな日本になるとは思っていなかった、こんな軽薄な、いや希薄な日本になるとは思わなかったって。水村さんもそんな思いでこの小説を書いたのかもしれない。水村さんは「日本語が亡びるとき」を書いている。彼女はずっと前から今の状況を予見していたのかもしれない。水村さんがこの本で書きたかったのは、「日本が亡びるとき」だったのかもしれない。