おじいさんが書くとても愛らしい本

庄野さんはおじいさんは愛らしくなくてはいけないと言う。不機嫌でも、威張っていてもいけない。また庄野さんを読まなきゃ、年を取れば取るほど庄野さんを読まなきゃだ。
2017年11月14日
老夫婦のひたすら何も起こらない淡々とした日々。書かれているのは、庭のバラたちと庄野夫人のピアノ教本ツェルニーの進み具合、庄野さんの唱歌を中心とするハモニカ演奏と、ご近所から受け取ったり届けたりのお裾分け、成城石井での買い物と、長女や孫からの手紙、喜寿のお祝いの家族旅行のことなど、ひたすら穏やかな日々が綴られるだけ。そして最後はちょっとだけ盛り上がって、お世話した縁談が無事まとまる話。 さて、どんな風に読めばいいんだろうと思っていたら、こんなのが出てくる 。
「二週間くらい前から、妻は岩波文庫モンテーニュ「エセー」を読んでいる。「面白い。面白い」という。モンテーニュは、過去を振り返らない。先のことを考えない、今を愉快に生きてゆくのがいいという考え方だという。そこのところが私の書いた「夕べの雲」と同じなのと妻は言う。「夕べの雲」と同じとはありがたい。」
そうなのだそういうことなのだ、過去も未来も気に病まずに、今そこにあるバラやピアノのレッスンを十分に楽しめばいいのだよと庄野さんは言っている。この本が届いて包装を開けていいなと思ったのは装幀だった。バラと楽譜、至福の組み合わせではないか。そして読み終わって、この装幀の佇まいそのものが書かれているのだった。このところ、本は装幀だと思ってる。だから最近は手に入る限り単行本を手に入れることにしている。何も起こらない庄野さんの本、もう読まないかなと思ったら、また読もうと思った。とても愛らしいのだ、おじいさんが書くとても愛らしい本なのだ。

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