再びお正月が来て、やっぱりお正月はこれだろうということになって

今年は何をするのだろうと考えていたのだけれど、ちっとも思い浮かばなくて、じゃ、去年は何をしたのだろうと考えていたら、即座に思い浮かばなかったけれどひょっとしてこれかなと思ったのが、谷崎潤一郎の「細雪」だった。昨年のお正月は、なんかとても華やかで雅びな気分でいたかった。それでふと思いついたのが、「細雪」だった。谷崎は特にお正月の風景が描いている訳ではなかったのだけれど、なぜかこれが日本のお正月だって勝手に思い込んでいた。それでいいぞいいぞ谷崎って、こんなによかったんだと、でも何がいいのかちっともよくわからなくて、よく美味しいお酒は水みたいというけれど、それに近いのかもしれない。で、手に入れたのが全一巻の単行本だったので、その頃は文庫で読むな、本は装丁が大事、持ち重りが大事だろと深く信じていたのだが、ところがこれが異常に重くて、その重さに耐えかねて、9割方読んだところで、突然放棄してしまった。そしてほぼ一年が過ぎて、再びお正月が来て、やっぱりお正月はこれだろうということになって、手にとって見たらやっぱりこれがよくて、1年前の世界にすっと舞い戻ってしまった。で、何が言いたいかというと、1年かけて1冊の本を読むってなかなかいいなぁって思ったのだった。そのゆっくりとした時間の流れがいいのか、ひとつの物語の中に一年間ずっと浸り続けることができる良さなのか。それは音楽でも同じようなもので、一年かけてずっとマタイ受難曲みたいなずっしりと重いものを聴き続けるっていいかもしれない。で、何にするかだ。「細雪」級のものを思い浮かばないのだ。かといっていきなりプルースト失われた時を求めて」を一巻づつというのもなぁ。でもそうこうしているうちに死んじゃうかもしれない。だとすると、谷崎からプルーストへ、かなって、ちっとも本を読んでこなかったくせに、谷崎とプルーストだけは読みましたって、ちょっとかっこいいかもしれないと思うのだけれど、でもこの年になってもやっぱりかっこよくなくてはならないなんて、なんて軽薄なんだろうと思うのだが、そう思うんだから仕方がない。最新の岩波文庫吉川一義訳版は全14巻、一年に一巻読んだとして14年。ひょっとして生きている間に読了できるかどうかわからないけれど、そろそろ今年あたりからはじめるのがいいのかもしれない。死んじゃってから「失われた時を求めて」なんて言ってももう遅いのだから。

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