三上智恵さんのf.b.投稿から

日大の学生の会見
きのう、生中継が始まった時
まるで日本兵のような彼の顔を見て
テレビを切った
内容は聞けなかった
心がざわざわして
試合に出して欲しかった
勲功を挙げたかった
世話になったコーチ、監督
期待に応えたかった
その道しかない、仕方がない
他に選択肢はない
というところに追い込まれた
のだろう
しかし彼は
声をあげて泣いた
「やってはいけないこと」
「本当はやりたくないこと」だと
彼の心は知っていたからだ
つい先日、南京虐殺
すさまじいドキュメンタリーを見て
また少し前に
731部隊のドキュメンタリーを見て
また中国で殺人を繰り返した
兵士の映画を立て続けに見た
そこに描かれてる
小さな殺人鬼たちの言葉の
共通性に
深い闇を見る
そうするしかなかった
そういう精神状態に追い込まれた
命令があったこともあるし
ないけれど暗黙の命令だと
受け止めたこともある
残酷なことをしたと
今は思うが当時は思わなかった
しかし他に選択肢はなかった
そう言いながら
人間は集団の中の一人として
とてつもない罪を犯すのだ
彼を追い詰めたもの
逆らえない関係や
歪んだスポーツマンシップ
その構図を問うべきだ
というところは
大賛成だ
でも
だから彼は被害者だ
彼に罪を問うのは酷だ
同じ立場ならそうするしか
なかったかもしれない
というコメントが付いてくると
また私の胸はざわつく
そういうコメンテーターの
すり抜け方を
「逃してなるものか」と
追手をかけたくなる
軍隊が悪かった
不幸な時代だった
日本兵個人の犯した罪を
問うのは酷だ
翻弄されて苦しんだ人を
後追いするな
この一件優しい視座に立ち
真っ先に自分も許してもらう
ずるい論理に飛びついた
戦後の日本人たち
指導層だけではない
メディアも、庶民もだ
たがら、あれから
変われていない
問題の所在を突き止め
問題の本質をえぐり
身体に刻みつけることから逃げ
霧散させてしまったがために
みてみろ、
私たち日本人は
同じ地獄にまた引き込まれていく
仕方がない
仕方なかったんだ
とつぶやきながら
集団の中の個、の弱さを
免罪符に
今も大小の罪を犯し続けている
私たち
彼の姿を見て
戦慄すべきは
「仕方がないんだ」と
集団の中で心を殺して
なにかをやってしまう
そんな闇を抱える
私たち自身なのではないか