球磨焼酎を飲んでいる時の気持ちを目指して

ある時期、吉田健一さんにとっても憧れていたのだけれど、でもちょっとこのところご無沙汰していた。でもこういうのを読むと本当に、この人は頭のいい人だなぁと思うし、その頭の良さを生きるということに生かし切った人なのだなと思う。
「理想は酒ばかり飲んでいる身分になることで、次には、酒を飲まなくても飲んでいると同じ状態に達することである。球磨焼酎を飲んでいる時の気持ちを目指して生きて行きたい。」

2012年2月2日
一段落したので、というかしなくても、最近は、夕方になるともうしごとなんかやめて、そんな風に思っていいんだと思うようになったから、晩ご飯の食材を買い方々、下に降りて行った。で、最近楽しそうだなぁと思っているミシマ社の本を買おうと思ってジュンク堂に行ったら、幅さんの本が目に入って、ぱらぱらとしていたら、吉田健一が出てきて、何やら「酒肴酒」と言う本が面白そうだと言うことで、文庫の棚まで行ってぱらぱらと見たら、いいぞと言うことになって、目当てのミシマ社は買わずに、吉田健一を選んでしまった。
40を過ぎた頃だったか、吉田健一がいいなぁと思ったことがあって、でもその頃の年格好で、吉田は何やら不似合いな気がして、それから20年位がたって、もうすっかり忘れていたのだけれど、スーパーへの買い物のついで、又出会ってしまった。
それも元来酒飲みでもないのに、10年ほど前から、なんだかいいものだなぁと目覚めたのだけれど、このごろまた、酒と言うものが、わからないなぁと思い悩んでいたのであるが、そこにぱっと、吉田が見事に答えてくれたものだから、やっぱり健一さんはすごいなぁと思っている。で、健一さんが言っているのは、
「 多くの人々の説とは反対に、酒は我々を現実から連れ去る代わりに、現実に引き戻してくれるのではないかと思う。長い間仕事をしている時、我々の頭は一つのことに集中して、その限りで冴えきっていても、まだその他にわれわれをとりまいているいろいろなことは忘れられ、その挙句に、ないのも同じことになって、我々が人間である以上、そうしていることにそれ程長く堪えていられるものではない。
・・・・酔いが廻って来るに連れて、電燈の灯りは人間の歴史はじまって以来の燈し火になり、人間はそれぞれの姿で独立している厳しくて、そしてまた親しい存在になる。
・・・・理想は酒ばかり飲んでいる身分になることで、次には、酒を飲まなくても飲んでいると同じ状態に達することである。球磨焼酎を飲んでいる時の気持ちを目指して生きて行きたい。」