常盤台は威張っていない町だと

5年前に歩いた常盤台。三浦さんの「軍人の住んでいなかった街」という指摘に驚いた。それだから、白い洋服を着た少女が自転車に乗って突然現れるように思えたんだと今頃気がついた。

2013年2月1日
常盤台に行ってきた。以前読んだ越沢明さんの「東京都市計画物語」以来ずっと気にかかっていた。越沢さんが「田園調布、成城学園、常盤台を超える高級住宅街は今日、首都圏を見渡してもなかなか存在しない、この中で都市設計、都市デザインの観点から見て最も美しく、優美にデザインされた住宅地は常盤台である」と書いていたからだ。今日ようやく訪ねることが出来た。手には三浦展さんの新著「東京高級住宅街探訪ーよき住まいとは、いかなるものか?」を携えて。三浦さんは中央線の町のことをずっと書いてきた。その三浦さんが唐突に田園都市の系譜につらなる町のことを書いたことを意外に感じていた。渋沢栄一田園都市の計画を練り始めた1913年から今年で丸100年になるからとのことらしい。三浦さんが田園都市の系譜をも気がかりにしていたことを知って嬉しかった。中央線の町が好き、でも多摩ニュータウンもどうしても捨てられないぼくにとっては、同じようなねじれを感じることが出来るから。歩き始めた昼過ぎ、正直、少し落胆していた。でも歩くにつれ、少しづつ見える風景が変わってきた。かつて道路の線形ばかり製図板の上で引いていたことがある。あまりおもしろい仕事とは思えていなかった。でも常盤台を歩いて、道路は官能的でさへあるのだなと思った。他の田園都市と同じくこの町も満身創痍だ。でもこの町を設計した若きプランナー小宮賢一の夢はまだ確かに町のあちこちに生きているような気がした。いまでも、ゆるやかにカーブする道の向こうから、白い洋服を来た小女が自転車に乗って突然現れるように思えた。多摩ニュータウンの40年後、満身創痍ながらも、常磐台にいまも感じられるような、計画にたずさわった人たちの夢を感じことができるだろうか。三浦が言っている「常盤台 軍人がいなかった住宅地」と。同じ頃生まれた田園調布をはじめとする多くの田園都市思想を継承する町には、当時大きな力を持っていた軍人が多く住んだでいたのだという。それらの住宅地とは違って軍人が住んでいなかった町常盤台は威張っていない町だと。歩き終わるころ、そんなことがようやく分かった気がする。多摩ニュータウンの40年後を占う時、三浦の「軍人がすまなかった町」は一つの視点になるのかもしれない。
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