うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。

きのう訪れた鎌倉文学館漱石からの手紙、漱石への手紙」展にもとり上げられていたのですが、漱石の手紙の中で、僕がいつも勇気づけられるのが芥川龍之介と、久米正雄にあてた手紙です。
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牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て來ます。さうして吾々を惱ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
 是から湯に入ります。
            大正五年八月二十四日                                                                 夏目金之助
   芥川 龍之介 樣
   久 米 正 雄 樣